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「夜図書」派のみなさん、こんばんは。
私の友人の図書館利用。 館内の検索端末を使って、ある本の情報を表示する。その「ある本」とは、その友人の著書。自分が書いた本を人知れず自分で検索し、表示する。複数の館に所蔵されているらしく、「在庫」と「貸出中」のどちらが多いかに注目する。すべて「貸出中」であれば、「よしっ!」と小さくガッツポーズして去る。 「貸出中」を素直に喜べるようになるまで、少々時間がかかった。はじめのうちはすべてが「貸出中」。それをを見るたびに、「あぁ、また一冊売れそびれた」と思ったらしい。著者にとって、自分の本が売れるかどうかは大きな問題だという。それで生活しているかどうかというより、一冊売れることが何よりの「喜び」であり「楽しみ」らしい。自分の本の値段すら知らず、ただ「一冊でも多く売れてくれ」と願うというのだから、これはもう感情の問題なのだろう。 「図書館が自分の本を並べるからいけないんだ。だから売れないんだ」 そんなことを考え始めたとき、はじめて「在庫」の文字を見た。 「読まれていない…」 売れそびれた悔しさ以上に、寂しさが襲ってきた。本が売れて嬉しいのは、それは読まれるからだ。読まれることが前提になっているから、売れることが嬉しい。 しかし、「在庫」は読まれていない。図書館の棚に、誰にも手に取られない自分の本がある。その寂しさといったら、とても我慢できるものではなかった。彼は急いでその図書館に行き、自分の本を借りた。 「貸出中」の文字を見て彼がするガッツポーズは、読まれていることの喜びを知った故のものだ。売れているかどうかも気になるが、それ以上に読まれているかどうかが気になる。「本屋さんの商品棚から選ばれる一冊よりも、図書館の棚から選ばれる一冊のほうが、確立としてはすごいはずだ」彼はそう考えている。「貸出中」が一つでもあれば、かれはガッツポーズをする。 図書館の検索端末の前でガッツポーズをしてすぐに立ち去る男性を見かけたら、その端末の画面をすぐに見てほしい。彼の著作がまだ表示されているはずだ。ナイショの話だが、最後に「終わる」に触れないのも彼の作戦である。でも、その作戦に引っかかって、ぜひ彼の著作を読んでほしい。なかなかの力作だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.11.08 22:13:25
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