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カテゴリ:リストラ戦記
【背景】リストラ戦記1.2.3.4参照
転職活動ではまず、冷静になって状況分析することから始めた。 年齢は40。転職限界35歳説からすると、とっくに過ぎている。 人見知りもするし面接も苦手だ。 現在より条件の悪い会社に移る可能性は高い。それはやむを得ない。 しかし、60歳まで働くことを考えると、安易な会社に移るべきでない。 やみくもに入ったら、とんでもないブラック企業で、さらに転職せざるを得なくなることは避けたい。その場合の次の転職活動は、もっと厳しくなる。 また、「数うちゃあたる」と、いい加減な気持ちで通るほど転職は甘くはない。ひとつひとつを「その会社に入りたい!」という強い気持ちで臨み続けなければ、合格は絶対ありえない。 強い気持ちで臨んで、それでもダメなときは、精神的にも辛い。 それでも一つ一つ、本気でチャレンジし続けなければならない。 就職は、縁だ。だからチャンスを広げるために、アンテナを広げきっかけを多く求めなければならない。 しかし、その縁を確実にものにするために、運を引き寄せるために、やるべきことがある。 瞬間に「すべてをかける」ことだ。確信と自信、そして使命感をもって。 「会社に入った後、どうしたいか」を真剣に考える。 面談での建前の準備だけではない。自分は本当はどのように生きたいのか、仕事/プライベートとの関係で長い人生をどのように過ごしたいのか。人生を空費しないために、再確認する必要がある。この確認が、「すべてをかけて」就職試験に臨む際のエネルギーとなるのだ。 今の会社の馬鹿げた仕打ちに引きづられ、くすぶり続けることこそが敗北だ。 この仕打ちを「本当の」自分の人生にとっての必然に、転機に、「災い転じて福となす」きっかけに変えていかなければならない。 不幸にも多面性がある。苦しいときは視野狭窄に陥りがちだ。 しかし、苦しみの表面に隠されたわずかな幸運の兆しに気が付くこと。兆しは必ずある。人生の大きなどんでん返しへと繋がるきっかけとはそういったものだ。 プラス思考ではない。運命に対する洞察力の問題だ。この洞察力を身に着けるために、運命学を学んできた。「うらない」つまり、表面ではなく裏に気づく洞察力を学んできた。 社長との面談を終えてから1週間、人生の棚卸をした。 小学校、中学校、高校、大学、その後の会社生活。。。 どんなことがあって、どんなとき自分は頑張れて、うれしかったのか。将来は何をしたいのか、仕事、それ以外の人生で、本当に充実感を感じたのはどんな瞬間だったのか。 この10年はどんな10年だったか、これからの10年はどんな10年としたいか。20年後、30年後どんな人生を送りたいか。ノートに延々と描き続けた。 しかし、ある程度進むと、前へ進まなくなる。 それから、はじめて職務経歴書/履歴書を埋めた。 そして、30代以降の転職者向けの本を10冊くらいお茶の水を回って購入し、 これを拾い読みしながら、職務経歴書/履歴書をさらにブラッシュアップする。 職務経歴書も履歴書もまずは自分の言葉で書く。迫力はその方がつく。ただし、人事や部署担当者に見せるためには、そちら側の視点に立ってアレンジする必要がある。 社長面談から2週間後、この職務経歴書/履歴書をベースにネットに乗っているある法務求人に募集した。「その会社で働きたい!」という強い思いを持って。 その会社のことを調べ、求人のスペックに合わせた表現に職務経歴書をアレンジし(もちろん嘘は書かない)、志望動機や自己アピールを記載した。 求人欄に記載されているスペックは、流石に簡潔でポイントをついた表現だ。ここで用いられている表現・キーワードを使わない手はない。 自分の言葉を活かしつつも、求人欄の表現に合わせる形でアレンジしていく。 書くべきことがだんだんと具体化されていった(しかし、その会社は書面選考落ち)。 その具体化されたものを大手の就職サイトにコピーペーストでどんどん登録していく。 いくつかのエージェントからはコンタクトが来る。。。 そんな時、上司に呼ばれ、ミーティングルームに入った。 ここ数週間、私は上司と顔を合わせないようにしていた。配転の辞令が怖かった。 呼ばれたとき「来るべき時が来た」と覚悟した。 上司の顔は本当に苦しそうだ。社長との面接の後、いつもそんな顔をしている。体調を崩して休む日も多い。 でも、私は情に流れない。どんなに苦しそうでも理不尽な話には戦う準備だけはしていた。 上司の一言を待つ。 「その後どうだ?人事から何か言ってきたか?」 「いえ、何も。人事は腫れ物に触るように避けています」 「そうだよな。で、就職活動はしているのか。」 「はい」と私。 就業先に転職活動をしていることを言うのはリスクだ。 しかも私の場合は事実上退職を強要されている。 これを追い込むためのネタに使用されるおそれがないとはいえない。 しかし、私はそのとき上司を100%信用していた。 自分のその直感にかけた。 転職で二次面談まで進んだら上司の理解が必要となる。 有給をとる際に適当な理由を使うとしても、上司の協力があるのとないのとでは大きな違いだ。 上司は考えるように沈黙ののち、「そうか」と答え さらに後続ける。 「実は俺の知り合いで就職のエージェントがいる。もしよければそいつを紹介するよ。お前のこと、実は、抽象的なことしか話していないが、求人はいくつかはあるといってた。 エージェントは、たくさんいた方がいい。もし、お前がよければ紹介しようと思う。」 私は息を吸い込み答えた、 「ありがとうございます。一つだけ確認です。私の個人情報が漏れませんか」。 個人情報が上司、そして会社への漏れることは想定していた。 それでも構わないと思っていた。 しかい、会社が「知ってはいけない情報」を知っているのと、「知っていてもよい情報」と知っているのとでは、その情報をベースに会社が仕掛けてきたときの交渉対応に差が出る。 建前としてはエージェントとの私の情報が漏れていないという状況にしておきたかった。 そのエージェントとの時間にすべてをかけるために―――――― 「大丈夫だと思う。業者だから。」 「お願いします」と私。 エージェントのメールアドレスを教えてもらった。 メールをすると、すぐにお返事をいただき、面談してもらうこととなった。 どんな面談となるか筮竹で占った。 【占的】 上司が紹介してくれたエージェントと面談を行います。 どんな話となるのでしょうか。 【結果】 風雷益 六2 ――― ――― ― ― ― ― ― ― * ――― 【判断】 1.卦は、いい卦。 「益」とは増やすという意味。この「増やす」とは、君主が下々の民に、自分の財産を減らして民の財産を増やしてやること。 エージェントは、何かくれるのか?だとすれば、就職先を紹介してくれるのか? 卦辞では、「往くところあるに利あり。大川わたるに利あり」とする。 「往くところあるに利あり」とは、一言でいえば、動けということ。「大川わたるに利あり」とは、大きなことを思い切ってやるにはいいということ。 2.爻もいい爻。 爻辞は次のようにいう。 「或いはこれを十朋の亀を益す。違うあたわず。永貞なれば吉なり。王もって帝に享す、吉」 (補足2) 「或いは」とは不特定多数。 「十朋の亀」とは、大きな亀、貴重な贈り物といったところか。古代の中国では、亀は占いに用いられる高価なものであった。遺跡から罅のある亀の甲羅が出土している(補足3) 「帝」とは、上帝あるいは天帝。天上の神の意味。秦の始皇帝が使用するまでは、帝とは天上の神を意味した。 整理すると、人から高価な贈り物(たくさんの贈り物)をもらい、拒むことができない(「或いはこれを十朋の亀を益す。違うあたわず。」)。正しい行動を続ければいいことがある(「永貞なれば吉なり」とは、)。 王様は、この爻が出たときは天の神様に祀った(「王もって帝に供す。吉」)。それくらいいい。 占的は、エージェントとの面談はどんな話となるかであった。 それに対する回答は、 貴重な就職先をたくさん紹介してくれ、「動きなさい。思い切って転職活動をしなさい。 正しい行動を続ければうまくいく。運を天に任せて頑張りなさい。」といわれるということ。 卦も爻もいいのでひとまず安心した。とはいっても、不安は残る。そこまで全幅の信頼を自分の占いに対しては持てない。 【その後の経緯】 都内の某所。エージェントの面談は初めての経験だった。 面談というので緊張したが、エージェントは、リラックスさせて話す雰囲気を作ってくれた。 まず、今回の転職に至った経緯を説明した。エージェントから個人情報を厳守する旨話があった後だったので、かなりざっくばらんに話した。 すでに履歴書/職務経歴書を送っていたので、これに基づいて、職務経歴を説明した。一通り話を聞いてもらった後、エージェントは口を開いた。 「いいづらいことですが、ざっくばらんにお話しさせていただきますね。」 「まず、考え方の基本を変えてください」といった。 40代の転職自体チャンスというのが限定されている。応募は早いもの順で決まってしまう。1週間応募が遅れると、その間に別の人によってうまってしまうことが出てきてしまう。 つまり、ぐずぐずせずに、すぐに転職に向けて動き出すべきだとのことだった。 そのうえで「家で検討ください」といいながら3件紹介してくれた。 その後面談の練習をした。自己紹介から、自分の強み、弱み。人から何と言われているか。過去のブレークスルー体験など。 職務経歴書についてもいくつか表現を修正してくれた。 「40歳からの転職は、私も経験がありますが気力がなかなか起こしづらいです。とにかく前向きに、前向きにですよ」 とエージェントは励ましてくれた。 ----------------------------------------------------------------- (補足1) 彖辞は「上を損して下に益す」とする。君主が下々の民に、自分の財産を減らして民の財産を増やしてやる。だから、「民よろこぶことかぎりなし。…その道大いにあらわる」(彖辞)。つまり、民がこの上もなく喜び、道義も大いに行われる。 (補足2) 読み方については、歴史上も争いがあるが、朱子(南宋の儒学者。彼の学説は清の科挙の基本書となり日本の儒学にも影響を与えた)の読み方に従った。この読みについては、亡くなられた本田済先生は、象辞からいうと違うのではないかと指摘されているが、実際に占う場合に、朱子の方がとりやすいので、読み方だけはこちらに従う。 (補足3) 「十朋」の「朋」という言葉について、古来さまざまな解釈がある。 a)亀自体の高価さを示すとの解釈。 「中国の書物(漢書「食貨志」)に、長さ一尺二寸(約40cm)の亀が大買にして「十朋」だったとの記述がある。朋は貝貨(貝のお金)二枚。そうすると亀の値段は貝貨20枚分だったことになる。それだけ高価な亀ということ。 b)亀の数を表す解釈 朱子によると「朋」とは両亀の意味。「十朋」つまり20(=10×2)の亀を送られると解釈する。そうするとたくさんという意味か。 私は占った当初はa)を採ったが、今はb)を採っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年06月17日 19時56分32秒
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