テーマ:相撲(1803)
カテゴリ:相撲研究
<四股名の由来> 過去の雑誌「相撲」の白鵬のコメントより
<白鵬の体重> 過去の雑誌「相撲」の白鵬のコメントより
体重に関しては、上記のデータで正しいと思うんですけど、 誰が四股名をつけたのかについては、白鵬自身のコメントもまちまちなので、 定かではないのですが・・・。 こう言うのはしっかりしようよぉ、記者さん、と思うのでした。 間違いはよろしくないですよ。 白鵬父について。 Jigjid Munkhbat (Avarga 横綱の意味) モンゴルのナーダムで、5年連続、6回の優勝。 因みにナーダムは、念に一度しかあります。大抵7月11日から13日くらいの間に行なわれているようです。 1961年ナーダムで「Arslan」大関。当時20歳。 1963年ナーダムで初優勝。当時22歳。 1964年ナーダムで2度目の優勝。 1965年ナーダムで3度目の優勝。←ライバル:バヤンムフンと初めて対戦 1966年ナーダムで4度目の優勝。 1967年ナーダムで5度目の優勝。 6度目の優勝は何年か知りません。 1964年東京オリンピックに初めて出場。この時はメダルなし。 モンゴルからのアスリートが最初に出場したオリンピック。 1968年メキシコオリンピック フリースタイル85キロ以下か87キロ級に出場。 決勝でロシア(旧ソ連)のBoris Gurevitchと対戦。銀。当時27歳。 モンゴル人として、初めてオリンピックメダルを取った方。しかも決勝は、判定負け。レスリングは副業。 その後は、ミュンヘン、モントリオール、モスクワ、と5回連続でオリンピックに出場。メダルなし。 (注意)1:上記は2003年に調べたものなので、今はもっと情報があるかもしれません。 (注意)2:4月23日放送「ウチくる」では、東京五輪では7位、メキシコ五輪では銀メダル。2度のみの出場と白鵬がコメント。 朝青龍父さんは、「Zaan」(関脇) 白鵬父が現役時代、朝青龍父に一度も負けた事は無い。 白鵬父に「朝青龍父はライバルでしたか?」なんて質問は、かなり失礼。 白鵬父の現役時代のライバルは、バヤンムフン。現役時代の直接対決の成績は4-4。引き分け。 「横綱に勝ってこそ横綱になる」(Avargiig davaj avarga boldog) モンゴルの諺?だそうですよ。 マスコミって結構いい加減ですね。素人でも調べられるのになぁ、と思うのですが・・・。 小さな間違いが気になるのは、A型だから? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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