青根温泉・不忘閣の御殿見学の続きから。
御殿からの眺め。かつて伊達の殿様がここから居城のある仙台方向を眺めたとのこと。太平洋まで見えたとか。
不忘閣とは昔はこの御殿のことを指していたそうですが、その後旅館全体の名前になったとのこと。
見下ろすと旅館の建物。眼下の建物には、殿様の家来が投宿したのでしょう。
御殿の廊下。よい雰囲気です。ちなみに、昭和40年代の半ばくらいまで、この御殿は宿泊できたそうです。殿様気分になるにはいいところです。
間もなくチェックアウト。ロビーにある「大湯」の看板。この「大湯」がかつて伊達正宗が入ったというお風呂だったかと。
ここも日本秘湯を守る会の会員宿でした。
さらば不忘閣。
御殿もさらば。さて、このあとは仙台の南側を抜け、福島県の浜通り方面へ南下することにしました。
海岸沿いを走る国道6号には、このように仮設住宅の標識が随所にたくさん立てられています。土地の低いところはこの国道のところまで津波が来ていました。
左側に東電と東北電力の合弁、相馬火力発電所が見えてきました。広大な敷地です。
いわきと南相馬の表示。いわきには原発事故でまっすぐ行けないわけで。。
11:18、道の駅そうまに到着。3年前のGWに立ち寄ったときは、この建物が一部壊れていましたが、すっかりもとに戻っています。
常磐道の状況。中心部の色が濃いところが帰還困難区域と居住制限区域、濃い緑色が避難指示解除準備区域。このあと浪江の近くまで行ってみることにしました。
道の駅にあった被災の記憶展示。標識が津波でこんなになってしまっています。
学校の机と津波が来た時間で止まった時計。。
道の駅そうまを出発してさらに南下。
11:54、道の駅南相馬。南相馬市は震災のとき市長がSOSを発したところ。まだ避難対象の区域が多く残っています。
国道6号をさらに南下。このような標識が随所にあります。このあたりは避難解除準備区域のためか、人気がほとんどありませんでした。
浪江町に入りました。この先検問やスクリーニングがあり、許可車以外入れないことは承知していたので、この先で引き返します。
来た道を北上、再び道の駅南相馬方向へ。
南相馬のこのあたりは比較的最近避難指示解除準備地域になったためか、がれきがまだ残っているところがあります。
放置されたままの傾いた建物も。。
道の駅南相馬に戻り、「なみえ焼きそば」で昼食。浪江は小学校のときの親友の実家があったところなので、思い入れあります。この焼きそばは震災前にB級グルメで賞を受賞していますが、太麺ともやしと目玉焼きが特徴的な焼きそば。頑張れ浪江。
道の駅からほど近いJR常磐線の原ノ町駅です。原ノ町から南は原発事故の影響でずっと普通状態ですが。。
駅の案内をみると、仙台方向も相馬までしか行っておらず、その先(亘理まで)はバス代行だったんですね。時刻表もかなり寂しい状況です。
南相馬から今度は西に向けて走ります。東北道方面に行くには、この道しか車で通れません。途中、まだ避難地域の多い飯舘村を通過します。
このあたり、飯舘村から川俣村に向かう居住制限区域か避難指示解除準備地域で、除染をしている作業員の方を多数見かけました。左の畑は除染後のものと思われます。
その後東北道に乗り、那須温泉の西側、板室温泉・ホテル板室に到着。この日、すごい強風が吹いていて、吹っ飛ばされそうでしたが、夕方になりやっと明るさが。部屋から見える山の上の雲が大きな滝のように見えてとても特徴的だったので一枚。
夕日モードでも一枚。
ここからは5月4日。朝はすっかり良い天気。前の写真と同じ場所ですが、全然雰囲気が違いますね。
濃い緑が目にいいです。
あちらは那須岳の方向でしょうか。このあと、那須の秘湯へ。。