203397 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

出羽の国、エミシの国 ブログ

PR

X

全7件 (7件中 1-7件目)

1

読書本(Book)

2008.10.20
XML
テーマ:本日の1冊(3577)
カテゴリ:読書本(Book)
出羽の国の羽黒山には平将門が建てたといわれる五重塔(国宝)がある。五重塔の創建は平安時代中期(承平)とされ将門の生きた時代と合致する。しかし、このことは言い伝えとされ あまりはっきりしたことは分かっていないようだ。国宝の建物で、有名な五重塔なのだが、平将門との関わりはなぞの1つだ。


 なぜ平将門は、羽黒山の五重塔を建てたのか?・・・と古代に思いをはせながら、この本を読んだ。将門と、出羽の国とのつながりを探ってみたい。

 将門は関東の人で、下総の国西部、猿島・豊田郡(現在の茨城県坂東市)が本拠地であったとされている。桓武天皇の5代の後裔。(別の本では、千葉県東金市御門に生まれたという伝説があった。)
平将門の乱も、その周辺の関東を中心にして起こるのだが、将門はけっして出羽や陸奥とも無関係ではなかったようだ。

 将門の父は、平良将(よしもち)といい、鎮守府将軍だった。鎮守府将軍とは胆沢城(岩手県奥州市)にあるエミシ鎮圧のために陸奥国におかれた鎮守府の長官、のことである。
”良将の事績は知られていないが、将門の弟、将種が陸奥国に居住していたことがあり、将門も幼年期を陸奥国で過ごしたかもしれない”という。だとすれば、京都にいたという伝説もあるし、将門の行動範囲は広くなり、出羽の国にも来ていた可能性も考えられなくもない。

”出羽の国では天慶2年(939)に俘囚が反乱し、陸奥国の援助を借りながら鎮圧にあたった。当時、出羽・陸奥の治安も悪化していた。”その年の 天慶2年(939年)12月15日、将門は上野国に侵攻し、同12月19日に、新皇に即位する。

 同じように同年におきた藤原純友の乱と将門の関係もよくわかっていないが、出羽の俘囚の反乱との関係があったかどうかもわかっていない。この年は東北、瀬戸内、関東で同時期に乱があったことになり、偶然と考えるよりは凶作、天災など民衆の不満を引き起こす何かがあったのではないかとも思った。

九条殿記」(藤原師輔の日記)には
”天慶3年(940年)2月26日、将門が1万3千の兵を率いて、陸奥・出羽国を襲撃しようとしている、との情報が、陸奥国からの飛駅(早馬)により、都にもたらされた・・・”という内容があるという。
結果としては、都に将門が殺害されたという情報が入った数日後にはなってしまう。しかし、”将門が陸奥・出羽両国へ出兵しようとしていた可能性は、大いにあり得る”と情報の内容を重視する。確かに新しい発見だと思う。

一般的に将門の乱の原因は、なかなか分かりづらい。私には将門は小さい頃から、五重塔を造った なにか神様のような存在であった。しかし、この本で紹介する出羽の国の逸話は、それをわかりやすく説明してくれているように思える。

 出羽国田河郡の竜花寺(りゅうげじ)に住んでいた妙達という僧侶が書いた
”一度死んだ後、地獄をめぐって蘇生するという筋仕立て”の本(僧妙達蘇生注記/10C後半)である。(冒頭は他の本より抜粋)

羽黒山 五重塔(⇒写真は、羽黒山パンフレットより)

 太政大臣、藤原忠平(師輔日記のの父)は多くの除目(官職を与えること)を自分の思うままに行い、罪をつくった。これによって頭が9つある竜となっていた。
”下総国にありし平将門は、これ東国のあしき人也といえども、先世に功徳をつくりし むくいにて天王(天皇?)となれり。(天台座主)尊意(平安時代僧)は、あしき法を行て、将門をころせり。この罪によりて、日ごとに百度(ももたび)たたかいす。
(同国天台別院主)そうねんは、先世に将門がおや也、一生 仏の寺にすみて、観音をたのみたてまつり、おおくの とうをつくり、心よかりき。此功徳によりて、都卒天の内院に生たり。”

 妙達は鶴岡市の善宝寺の開祖といわれる人。地獄をめぐって蘇生するとは、羽黒山の山伏の修行そのもののようだ。内容は将門と忠平、尊意が地獄で裁かれた時の審判の結果を表しているのだろう。来世(地獄)では 将門は念願の天王(皇)となり、太政大臣、藤原忠平(貞信)が悪人とされている。

著者はこれに対して
”注目したいのは、将門を悪人としながらも、将門に対して悪感情をいだいていないことだ・・・将門伝説には、将門に親近感をいだいたものが少なくないが、将門に対する同情や思い入れは、伝承化の初期の段階から、すでに東国に広まっていたのであった・・・”という。

 私のいだく将門への尊敬や畏敬の念は小さい頃からのものだ。今回 この本を読んでその辺のいきさつが少しわかったような気がする。また、何とも言えない、歴史の非情さも再確認させられたような気がした。桓武平氏であるということも複雑だ。 将門が関東の王者であったことは間違いないし、将門があってのその後の関東であったと思う。この本では将門を武士の始まりとしている。武士の産みの苦しみの時期のようでもある。

 将門が出羽に来たことがあったとすれば、羽黒山に五重の塔を建てた可能性もあるだろう。私は、将門が、自分も天皇の末裔であったことから、同じように天皇になっていたかもしれなかった蜂子皇子(羽黒山の開祖)を慕って五重塔を建てたのではないかと考えていた。
しかし、妙見菩薩(北斗七星)を信仰していたということや出羽・陸奥への想いから将門の意思で将門を慕う人々によって五重塔が建てられたとも考えられるとも思った。

 実際に将門が建てるために出羽の国に来ていたかどうかはわからなくとも、将門は五重の塔を建てたと言い伝えられ尊敬され大切にされてきたということは間違いない。






Last updated  2021.05.16 13:50:53


2007.09.14
カテゴリ:読書本(Book)
 出雲は、大和(奈良県)にあった!!もともと島根県ではない!よくある本家、家元争いに似ているが、これがこの本のテーマだろう。

 奈良県三輪山南東にある初瀬川沿いに”出雲”という村がある。その出雲村がこの本の「出雲」地名起源説の地だ。

 「大和の先住民が島根県出雲へ移り住んでから後世になって故郷(大和)に帰り、出雲を地名にしたのではないか、という説も有力である。」とも言う。
古くから、島根県出雲大和出雲とはとても深い関係があったことは確かなようだ。

 作者のいう“肌で感じて足で書く“という言葉のとおり、大和出雲村やその周辺を実際に訪れ、伝説なども詳細にしらべるという地道な研究の成果である。歴史の教科書で習う内容より、現在の風習や伝説を考慮している点、納得させられる点が多い。

 とっておきの1冊となった。

 副題は“日本相撲史の源流を探る”。内容的には、相撲の歴史というよりは大和の出雲村の内容が大半をしめている。

 内容は大相撲の歴史からはじまり、世界の格闘技から釈迦、埴輪まで多岐にわたる。そして、伝説上の日本相撲発祥の人物、野見宿禰(のみのすくね)の話になる。日本書紀の記述、垂仁天皇の時代の物語である。概略はこうだ。

當麻村蹶速(たいまのくぇ(け)はや)というたいへん勇ましく強い人がいた。
“日本の国ひろしといっても、とうてい自分の力にかなう者はあるまい、なんとか力の強い者にあって、命がけで力くらべをしたいものだ”と豪語しているという。
そこで天皇は、“蹶速が日本一の力持ちだと聞いたが誰かこの男にかなうような強いものがいないだろうか”というと、1人の臣下が進み出た。
 その臣下は、“私は出雲の国野見の宿禰という力の強い人がいるときいています。この人を呼び寄せて力競べをさせてみてはどうでしょうか?“という。
 その日の内に、使者を出雲にやり、野見の宿禰をよびよせることになった。
 2人は相撲を取ることになり、結果、野見の宿禰が當麻の蹶速を破り 殺してしまった。野見の宿禰は天皇から蹶速の土地を与えられ、天皇に仕えることをゆるされた。」

 戦前の小学校の教科書にも採用されて有名な話なのだそうだ。

作者はこの物語の中で、野見の宿禰を呼びだしたときに、「即日(そのひ)」使いを出して 出雲から呼び寄せるところに注目。

 “その日”に出雲から到着するほど、倭(三輪山周辺)と近い位置にあったことから、出雲は三輪山南東にある初瀬川沿いの出雲村であったとする。その根拠はその土地に伝わる野見の宿禰の遺跡、三輪山周辺の遺跡やそれらの伝説などから明らかにしていく。

 ジャーナリスト出身の作家の大和出雲に対する情熱はすごい。
「幻の野見宿禰を追って、くる日もくる日も巡礼者のように大和の地に、島根県の出雲に探し求め、きわめて雑多な古代史と考古学の文献という、深い森を掻き分けて、20余年あてどなくさまよい続けた。立証不可能な追求と知りながらも、「日本書紀」が伝える魅力の宿禰像を、私なりに存在しうるという欣求(ごんぐ)を、私なりに描いてみたかったのが本心である。」と本の最後を結ぶ。

 あまり知らなかった内容が多いのだが、その緻密な内容は決して無視できないものだと思った。

 一見、出羽の国とは無関係な内容のようだ。が、この出雲村は、初瀬が近く、蜂子皇子ゆかりの大伴氏の居住地域とも近い。作者の掘り出した内容は出羽の国のなぞを解くにもたいへん参考になるし示唆してくれる。


 次回はこの本の内容に関して、出羽と出雲との比較をしてみたい。






Last updated  2017.12.05 23:25:31
2006.01.25
カテゴリ:読書本(Book)
“大乗仏教は釈迦の教えではない”という“大乗非仏説”の内容から始まる。日本に入ってきた仏教は、“ユダヤ的キリスト教”である景教(東方キリスト教)の影響を受けているというような内容。

聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史(2(仏教・景教篇)) (作者は、1作目で訳を担当した日本の古代史研究家2人。前作と比べると”ユダヤ"より”キリスト教”的な内容がメインとなっている。日本・ユダヤ封印の古代史<1>の内容のうち副題のとおり、とくに景教についての内容が詳しい。)


 仏教は、紀元前5、6世紀ごろに釈迦によってひらかれた。そのためキリスト教より歴史的には古いが、仏教の教えの中の大乗仏教は、1、2世紀頃に成立してキリスト教の成立と比較すると新しい。ユダヤに発した原始キリスト教やネストリウス派は、その頃すでにインドに伝わっていて大乗仏教はその影響を多分に受けてたのだという。大乗仏教には釈迦の説いていない教えが数多く入っているのがその理由だ。
 例として「法華経」と「聖書」の共通点、「大日如来、阿弥陀仏、弥勒(みろく)菩薩」と「イエス・キリスト/メシア」の類似など、多くの共通点を見出し説明する。

 “景教”は アッシリア(シリア)地域で生れ、のちに東方世界に広がり、シルクロード付近全域に広がったヨーロッパからみれば東方のキリスト教で、中国での呼び名だ。
ネストリウス派”といわれ異端ともされたが、その教えに異端とされる内容はなく基督(キリスト)教のユダヤ性をよく残しているものだったという。そういえば、高校の世界史の教科書(山川出版社)に書いてあるのを思い出した。それには確かに“ネストリウス派は5C(431年)のエフェソスの公会議でキリスト教の神性を十分認めないとの理由で異端とされた”と、書いてあった。

 ネストリウス派キリスト教はペルシャを経て635年に中国に入り景教と呼ばれ、それから約200年間 皇帝の保護をうけ発展し日本の仏教にも影響を与えた。しかし、本の内容はさらに時代を遡る。それよりずっと以前、日本に仏教が入ったとされる以前に、日本にはキリスト教がもたらされていたというのだ。

 いわゆるその原始キリスト教を持ち込んだ民族とは”秦氏”で、秦氏は、中央アジア「弓月(ゆずき)国」の人々で4C後半ごろから5C前半ごろ、大勢で日本に渡来、帰化したという。稲荷神社、松尾大社、日吉大社、月読神社(京都)などが、秦氏と関係しているとされる。そう考えれば、人々に伝来されていたかは別として、現在、仏教伝来として考えられている538年や552年よりも古い時代に原始キリスト教が持ち込まれていたことになる。


「付録」について
 「川守田英二」の日本へブル詩歌研究について解説する。
川守田は、日本の民謡などにある意味のわかっていない言葉・囃子詞(はやしことば)は、キリストが生きていた当時に使っていただろう(実際にはより近い)言葉、つまり、へブル語(アムル語)であるとはじめて唱えた人なのだという。

 その内容として、いくつかの囃子言葉の例があげられている。1つだけ例にとると祇園祭りなどの「エンラヤラー」はへブル語のエァニ・エハレル・ヤー(ANY・AHLL・YH)、「私は神を讃美します」の意味ではないかという。
 少し不自然な訳になるので信憑性があまりないようだが、“神”の意味の言葉”ヤーウェ”でさえも最近になって解ったことで、近代まで “エホバ”と間違えて読まれていたということもあるので、もしかしたら現在で忘れさられている言葉が他にも多くあるのかもしれない。そう思うとよく意味のわからない最上川舟歌の囃子言葉の「エーエエン・ヤアーエーエエンヤー・エーエエヘ、エーエエン・ヤアーエード」にも”ヤーウェ”が入っていそうな気分になるから不思議だ。

 これらの本の内容は有力な説の1つだと思うのだが、他にも様々な多くの説がある。
 松本清張は、ゾロアスター教は、中近東から西や東へと伝わりユダヤ教に影響を与えたといっているし、実際にはユダヤ(中東)から日本(東)への一方通行ではなくさまざまな方向、相互の影響があったのかもしれない。

 今まで漠然と思っていたこと1つ1つに根拠を与えてくれるような、とても面白い内容の本だった。






Last updated  2021.08.08 14:41:50
2005.10.30
カテゴリ:読書本(Book)
『勾玉』  水野 祐 氏著

 昭和43年初版発行のロング・セラーの本。作者は、早稲田大学の教授。著名な古代史研究家でもある。
 古い本であるが内容は色あせていないと思う。出版社が学生社なので、
もともとは授業用にでも書いたものだろうか?しかし、一般の私にもわかりやすく、楽しんでよめた。

 勾玉の種類(色・形・材質など)、全国の出土地域分析、作成の仕方、輸入ルートなど
様々な角度から勾玉を研究がされている。また、古代の人がなぜを勾玉の
作成したのか(玉の起源と意義)などを深く掘り下げている。
 特に”出雲神話”の内容を手がかりとして、三種の神器の1つとして、
さらに日本古代の歴史にいたる広範囲な内容で勾玉をとりあげている。

 興味深いのは、勾玉を月の象徴・シンボルとしての月神の像と解しているというところであった。
”(勾玉が)青色を貴しとして青い硬玉を主体としていることは、硬玉のもつ玲瓏(れいろう)な色沢に、月光を象徴させようとしたものかとおもわれる。”
として、
月のうちでも”新月(朔)”が月のもっとも象徴的なものとされ、日本の原始暦では、”朔”が月の最初にもってこられていた。
その光はにぶい青色と感じられていただろうと新月と勾玉を関係つけている。

 確かに新月は青白くみえる。晴れた満月の日には、夜でも明るく懐中電灯なしでも歩くことができる。光さえあれば空が青くみえることは実感できる。
黄色を月の色としている今の人の感覚とは多少ことなることもおもしろい。

この本から読み取れるものは一貫した
”勾玉=月神・月読み尊=新月(朔)=青色=狩猟・漁労民(出雲・縄文・還日本海文化)”
というような図式だった。






Last updated  2005.10.30 17:23:51
2005.04.30
カテゴリ:読書本(Book)
 最近、古代史関係の本を読んでいて、大和側の資料は、意図的で、歴史や神話を自分たちに都合のいいような内容にして書いた部分が多いのだなー、と感じた。
 伊治公呰麻呂(これはるのきみあざまろ)780年の乱などは、宮城県北部で起こった乱だけれど 宮城県中部の国府・多賀城をも焼き、政府軍は有効な打撃を打てないままの状態になる。
 そんな大和側の負け戦でさえも、蝦夷征伐しているのだと言い続つ゛ける。蝦夷側の資料というのがないので、資料的には、貴重なのかも知れないが 内容的には真実性に欠ける。
 なんだか、太平洋戦争時の大本営発表にも似た感じが・・・。たしかに日本には、少し、歴史をねじまげ ようとする伝統があるのかもしれない。
 中国などは、どうなのだろうか?伝統的に次の時代を受け持った国がその前の国の歴史を編纂すると聞いたことがあるが、こっちほうが少しは、フェアーな歴史書になるのかも。
 時代的な道徳観や権力側の意図など、本当にフェアーな歴史書などないとは思うが、なるべく本当のことを知りたいし、残してほしい。
 新野直吉さんの言葉に、目からうろこ。

この本は、古本としてAmazon.co.jpから買った、読書本に追加。






Last updated  2005.05.01 19:20:09
2005.01.30
カテゴリ:読書本(Book)
去年、北陸の方では台風のせいで熊が食べるどんぐりがないというニュースを聞いたが、会社の敷地に植えられている木のどんぐりは、大豊作だった。その木は、常緑樹でこの図鑑によると、粗樫という種類らしい。枝は、引っ張るとすっぱりと裂けるように折れ、幹の太さは2、30cmもある。常緑樹で冬でも落葉しない。関東に来て初めてみる木だった。常緑樹というと低木、どんぐりは落葉樹のみと思っていたので、この図鑑をみて、へぇーと言う思いだった。
読書本に追加。






Last updated  2005.01.30 18:53:18
2004.12.05
カテゴリ:読書本(Book)
『日本神話の考古学』 森 浩一 氏著
を追加しました。






Last updated  2005.01.30 18:54:27

全7件 (7件中 1-7件目)

1


© Rakuten Group, Inc.