カテゴリ:出来事雑感
今日の午後0時、福井市街地で一斉にサイレンが鳴り響きました。
・・黙祷。 今から65年前(昭和23年)の今日・・福井地方は、大きな地震に襲われました。 犠牲者3800人余り、倒壊家屋3万5千戸を超えた大災害でした。 その3年前、昭和20年、福井は、米軍の空襲により市街地の95%が焦土と化しました。 やっと、復興しかけた矢先、今度は、大地震に遭ったのです。 福井人の足跡を調べると・・粘り強く、凄いです。 ほとんどの日本人が知らない・・日本の土台となる縁の下の力持ちのような印象があります。 それは兎も角、別の機会に譲るとして・・ ~今日の地元福井新聞「若水越山」のコラムから~ ▼二十九日早暁(そうぎょう)、通信・交通の途絶した震災地一番乗りを行った記者が、数分ごとに襲ってくる余震におびやかされつつ、子をさがし親を求める阿鼻(あび)叫喚の巷(ちまた)に三十日朝を迎えた…。 ▼1948(昭和23)年6月、大阪の夕刊紙に掲載された福井地震の記事である。クレジットは【三十日朝福井にて 佐野・福田特派員発】と書かれている。 ▼2人の記者のうち、福田という人こそ後に作家となった司馬遼太郎である。産経新聞京都支局の記者だった司馬は、地震が起きた28日夜のうちに急ぎ福井へと向かった。 ▼「新聞記者 司馬遼太郎」(産経新聞社、文春文庫)によれば、司馬は映画館崩壊などの様子を伝え、戦後の復興建築の大半が手抜き工事であることをいち早く指摘したという。 ▼20代半ばの司馬が惨状を目にした福井地震からきょうで65年になる。マグニチュード7・1の直下型地震で、死者行方不明者3800人余り、倒壊家屋3万5千戸を超えた。 ▼地震国日本で長く戦後最大と位置づけられたが、最近では1995年の阪神大震災、2011年の東日本大震災と福井をしのぐ大地震が続発している。 ▼さらには最大34万人以上の犠牲者が予想される南海トラフ巨大地震も想定されている。われわれは福井震災から阪神、東日本大震災と悲惨な歴史を記憶にとどめている。日々の備えをいま一度確認したい日である。 合掌。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
June 28, 2013 11:14:16 PM
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