テーマ:靖国参拝について(12)
カテゴリ:川柳
8月15日。
日本人にとって、61年経っても忘れられない日。 また、中国や韓国の人々にとっては、特別の興味がある日。 A級戦犯の合祀と首相の参拝ということが問題の焦点だが、日本人にとっても特別な日であり、誰が参拝しようと、外からとやかく言われる筋合いの問題ではない。 敗戦による終戦という苦く辛い日となった61年前のこの日は、日本という国が世界に向かってファシズムの一翼を担い、結果として戦場となった地域で多くの被害者を出したことを決して忘れてはいけない日である。日本の、いや大日本帝国の責任は、今日の日本人が引きずっている。その一点を忘れないかぎり、首相が自国の為に死んでいった多くの戦死者を祀った(しかも明治以来の近代日本の建設に犠牲となった人々でもある)靖国神社を参拝するのは当然のことであり、ヒステリックな中国外相の抗議や、韓国のニュースは日本人にとって耐えられない。また、蒸し返すのかと…。 しかし、小泉さんも小泉さんだ。彼等の反応は、参拝前からわかり切ったこと。自分の「公約」といっても、任期をあと僅かにして、ここでそれを達成するということが必要あったろうか。むしろ、公約を破ってまでしても、アジア諸国との友好の窓口を広げたほうが、政治家としてよかったのではないか。小さな自我を通す快感に、大きな視点を曇らせた気がする。 玉砂利がまた弾け飛ぶ日本海 川柳家は、時事川柳を作る時、どちらのサイドにも立ってはいけない。風刺はよいが、一方的批判となると、それは主義を背負ったイデオロギー川柳になってしまう。あくまでも、冷徹に、両方の奥に潜む問題点へ目を向ける。 一発の爆弾でヒロシマ、ナガサキという都市の住民―兵士ばかりではない―を一瞬に殺した国の指導者は戦犯にならず、ファッシズムという時の流れの中で国民にも押されて始めた戦争戦争指導者は、立派に責任をとって絞首刑。 もちろん、戦争に導いた責任は問われねばならないが、勝者も敗者も戦争を行なった指導者は同罪だと思う。勝てば官軍という論理は、人道上は認めたくない。もし、日本が勝っていたら、東条英樹は英雄であり、東条神社があちこちに出来たろう。そんな日本を私は求めないが、歴史の中の運命のイタズラは、何に正義を与えたか解らない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年08月15日 23時09分51秒
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