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「女三界に家無し」というけど、三軒の家を回っている。昔はよく3階に住んでいた。寮にいた時、下宿していた時、ハワイのアパートに住んでいた時。3が好き。
公団では1階でも「103」だった。千代田の家は2階で「503」。なんでか。 千代田は高台で、夏は涼しい。いま、鶯が鳴いている。日当たりもいいし風通しもいいし静かだし。12時まで仕事をして12時10分に布団(ベッドがない)に入り、本を読みかけたら半ページで眠くなった。 夕方からという予報なので折り畳み傘をバッグに入れて肩から斜めに掛け、9時に家を出た。傘が重たい。バスの時間は知らない。ゆっくり歩いてぼんやり信号を待って。(長い信号)と思ったら、青一回見過ごしていた。向かい側のバス停へゆっくり行くと丁度バスが来た。 電車はがら空きの各停。急行の止まる駅で大方のヒトは降りて移動したけどそのまま乗っていた。ガッタンガッタン、いつも乗るやつなら3つしか停まらないところを七つも八つも停まる。 北千里から乗ったバス、「次は北公園前ぇ」と言ったからブザー押さなかった。前のおじいさんが手を伸ばして押した。すぐに停まったのでバス停の標識をひょいと見ると、「循環器病センター前」と書いてあるような。いつもと違う席に座ったから病院の建物が見えない。慌てて立って、念のため運転手に訊いた。「ここ、病院前ですか?」 サングラスをかけた若いにいちゃんの運転手、「えー?」なに言うてんねんという顔。「病院前ですか」 「循環器病センター前です」 はっきりゆっくり言った。なるほどなるほど、「病院前」というバス停ではない。降りた。ブザーを押したおじいさんは降りなかった。私のために押してくれたのか。 この病院は、手術直後と重病人以外はお金持ちも貧乏人も一緒の4人部屋。どの人もカーテン閉めてプライバシーを保っているけど、ショータンはバーッと開けてテレビを見ていた。25℃だもの。私は脚の手術をしたとき、窓際の寒がりリウマチ患者と暑い寒いで喧嘩して、(こんな病院におれるか!)とムリに退院した。お陰で元通りに歩けなくなった。 3日の間に、ショータンは3枚もパジャマを着替えていた。「傘持ってるから、よう持って帰らんわ」 「雨降るまでに帰るのに、持って来んでもええやろ、傘なんか。今週いっぱいで帰るから、車のトランクに入れてきて」 「来週いっぱいと違う?」 「今日、半分糸抜いた。明日、残り抜くらしい。示談もちゃんとして貰わんならんし、こんなとこにのんびりしてられへん」 手術してもらって、病院を「こんなとこ」と言うのは私と似ている。母が、「年寄りは病院へ入ったら惚けるねんて」と言っていた。ショータンも「電気消すのん忘れてるッ」「こんなとこへ置いとくなッ」と怒ってなかったら、惚けるかも。怒られない私の方はぼんやりして来た。 駐車場係り今日は休み。トランクに洗濯物入れておく。 <夜間出入口>の脇に座っている守衛さんが、出る時も入る時も頭を下げてくれた。(今持って出た荷物、何処へ置いて来たのかな?)と思っていないかな。 腰も膝も踵も痛いから、金曜日まで来ないと言っておいた。「新聞代と交通費」と、2万円くれた。珍しい。重いから、傘はロッカーへ置いて帰った。 夕方からどころか夜中でも雨は降ってこない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004.05.06 20:58:47
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