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ジャコだけじゃなんの事やら解らない人も多いと思うので、ちょっとだけ解説。
ジャコ・パストリアス エレクトリック・ベーシスト、兼作曲家。恐らく20世紀、他のミュージシャンに最も影響を与えたベーシストの一人であろう。そのプレゼンスは、ジャズ音楽界において、あまりにも巨大である。演奏のみならず、作曲家としても数多い作品を排出しており、その個性の強烈さゆえのスリリングな音楽スタイルは、決して他のミュージシャンを追従させないほどだ。しかし、そんな彼にも影響を与えたベーシストがいる。ジェームス・ジェマーソンとロッコ・プレスティアだ。 ジェームス・ジェマーソンはモータウンサウンドを根底から支えたベーシストだ。 ロッコ・プレスティアは、あのサンフランシスコ出身の凄いファンクバンド、タワーオブパワーのベーシストだ。 これら二人の演奏を基礎に、彼は自分独自の演奏方法、サウンド作りを確率していった。中でもフレットレスベースでの演奏は圧巻だった。 ジャコの活動がもっとも際だっていたのは、なんといってもウェザーリポートでの活動時だろう。実は僕も初めて訪れたフュージョン系のコンサートは、このグループが最初だった。その時うけた衝撃は、その後の僕の演奏スタイルを形成するにあたって、計り知れないものがある。ともあれ、エレクトリックベースの革命を、目の前で観たのだから、仕方のないことだろう。 さて、前置きが長くなってしまったが、今日は彼の回想ということだった。実は、僕は彼に一度だけ直接会ったことがある。当時すでにワード・オブ・マウスバンドを率いてツアーを行っていたが、彼の素行の悪さ故に、全米でもそうとうのバッシング状態であった。特にダウンビート誌なんかでは、かなりきつい記事になっていたように記憶している。 そんなおりに突然自分のアパート近くに現れたのだ。場所はちょうと『ウェスト・サイド物語』に出てくるような、アパートの谷間にあり、フェンスで囲われたバスケット・コートだ。その姿は到底以前みたオーラが輝くジャコの姿とはかけ離れていた。髪は延び放題、服は汚れ、ズボンには排尿のシミがあり、薄汚い言葉をはきならスリー・オン・スリーをやっていた。ちょうど、そこは大学の校舎と校舎を結ぶ道筋にあり、当然のことながらzジャズ専門の音楽大学であったため、皆の目に付いた。 その変貌の様子があまりにも悲惨で、僕は声を掛けることすら出来なかった。悪い噂は真実だった事を確認した。彼は完全に麻薬中毒、アルコール中毒に侵されていたのだ。僕は自分の目を信じることが出来ず、なんども彼の姿を見直した。友人のベーシストが、「頼むから、彼を見ないでくれ。」と良いながら通り過ぎたのを今でも思い出す。 それからしばらくして、マイアミでの悲劇が起きた。巷の噂では、マイアミで酔った勢いで、行きずりの浮浪者と喧嘩になり、死亡したと伝えられた。享年35歳、今の僕よりずっと若いのだ。 ジャコの演奏は、今となっては演奏技術が向上したため、同じようなテクニックを駆使することは、それほど苦難ではない。というか演奏技術的には彼を上回っているベーシストは、星の数ほどいるだろう。(例ジェフ・バーリン、カルロス・ベナベント、リチャード・ボナ)しかし、そのパイオニアとして、近代ベースの演奏法で、これほどまでに発展せしめたベーシトは居ない。彼の功績は、今後も多くのベーシスト達によって引き継がれていくことは間違いない。と同時に、ジャコの呪縛から逃れようとする、クリエーティブなベーシトも、これから登場してくることを願う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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