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2007.03.01
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カテゴリ:ちょっと思うこと
もし現在の開発途上国における人口の爆発的増加を止められなければ、人類の食料の需給バランスは崩壊し、飢餓問題は、国家間格差と宗教問題等を含みながら、紛争や戦争の頻発を招くことになるでしょう。
また、あらゆる抗生物質に打ち勝ってしまう耐性病原菌を生み出してしまう可能性を指摘されている現在の抗生物質での医療は、我々人類にとって最も恐ろしい敵を自ら生み出してしまうのかもしれないのです。
さらに、紛争や戦争に使われるかもしれない、毒性を強めた生物兵器や化学兵器による地球環境への汚染が起これば、取り返しのつかない大きなダメージを我々の生存環境に与える事になるかもしれませんし、20世紀半ば過ぎに危惧された、全面的核戦争が起きれば、核爆発の直接的破壊力だけでなく、我々の生存空間に大量の放射性物質がばらまかれる事になって、生物の遺伝子に壊滅的な打撃を与えてしまう事も予想されるのです。
そうした危機に対し、生物の遺伝子が備えてきた多様性の確保という見地から見て、我々、今の人類は種の多様性という意味では、あまりに鋭く収斂してしまった為に、だれも非常に似通っていて、全人類が同じ弱点を同時に持っている単一種と言って差し支えなく、生存圏に重大な変化が生じた時の絶滅の危険性は、かつて無く高まっていると言えるかもしれないのです。
人類は、それら幾多の難関を乗り越えられなければ、我々の文明は10万年どころか、あと200年足らずの間に滅びることになってしまう可能性すら有ると、私には感じられるのです。

 宇宙の中の多くの星で生まれるであろう生命は、惑星系のバランスや、様々な宇宙環境の偶然によって数千万年スパンの安定した環境が続くという条件と、数千万年に一度壊滅的環境変化がある時、淘汰による進化は強く促され、幾重の進化の歴史の後に知的生命を生み出すのであろうけれど、やがて知的生命は必ず技術文明を起こすことから、充分に知的でない生命体の場合、その技術文明が核爆発や遺伝子操作に及ぶ頃、強くその星の生存環境を自ら破壊してしまい、やがて自らがもたらした災いにより、その文明は滅びることになって行くのかもしれないのです。
そんな推測から、技術文明を持つ知的生命が宇宙に電波を放つ期間は、長くても数百年程度の期間しかないのが宇宙では一般的な事であるかも知れず、我々のこの地球人類も、今まさに、そんな滅亡の時代を迎えようとしているのかも知れないのです。

 私は、今の我々地球人は知的ではあるが、充分な知的ポテンシャルを持って誕生した生物では無かったのかもしれない、と思うようになりました。
ナミビアのスケルトンコーストという浜辺でしばしば見つかる骨の化石の中には、我々ホモ・サピエンスよりも30%も脳容積の大きい霊長類の頭蓋骨があるそうです。その化石の主はビ-チウオーカー(ボスコ・ボイド)と呼ばれ、体は我々ホモサ・ピエンスよりも華奢で小さく、頭だけが大きい、いわば、一般に想像される未来の人間のような姿をしていたのです。
おそらく彼らは我々ホモ・サピエンスがこの星に登場した頃、やはりこの星に誕生した新種の霊長類であったのだと思われますが、脳の持つポテンシャルでは、ビーチウオーカーの方が優れていたことも予想されるのですが、互いに文明化されていない時代であり、野性的な肉体の持つ可能性が大きく生存力に影響していた時代では、貧弱な肉体は生存競争に不利に働き、ホモ・サピエンシスが彼らに打ち勝ち、今日までその種を繋いで来たと考えられるのです。
もし、彼らビーチウオーカー達が、我々ホモ・サピエンスがホモ・ネアンデルタレンシスとの生存競争に勝ったように、ホモ・サピエンスに打ち勝ち、今日の地球の生態系の頂点に立っていたとしたなら、その優れていたであろう脳のポテンシャルを開花させ、今の地球に起きている問題を未然に防ぎ、住みよい平和な世界を築いていたかのも知れません。

 この後も、永く地球に生物が歴史を刻み続けることが出来るなら、遠い将来この地球に住む知的生物に語られるであろう地球の歴史の中で、我々ホモ・サピエンスという種は、初めて高度な言語を獲得し、それ故技術文明を起こし得た種として記録されるのでしょう、しかし、同時に生物としての本能に強く拘束されていた原始的な初期の知的生物という表現で語られるのではないか、と想像しています。

しかしながら、「我々は原始的な種だから仕方ない」等と言って、このまま自分達の種が滅びゆくかも知れないのを傍観しているわけにも行きません。
いくら自業自得だとしても、ただ憂いていては事態の深刻さは増すばかりで何の解決にもならないのです。
今の人類がこうした危機を乗り越えられるか否かは、紙一重のことであるかも知れません。
それは、人の心の原始的欲望と知的理性の問題だと思うのです。
そして、様々な宗教的な教育は基本的な思想文化の違いを生むし、自由主義経済社会と言う仕組みは、その根底に強者生存という原始的摂理を内包していて、人間同士の軋轢を平和的に解決する機能は本来持っていない為、現状の世界的枠組みの中では、依然として国家間、民族間の争いを抑制する方法は、武力的威圧の力を必要としている。                
地球上の環境問題より以前に、人間同士の軋轢さえ上手に解決することが出来ない我々なのですが、それらのあらゆる危機を緩やかに乗り越え得るか否かは、人類全体の知的な理性レベルを引き上げ得るかどうかにかかっているように思えるのです。
それなのに、この現在の地球世界に生まれてくる子供達の半数も、良質な教育を受ける事が出来ていない現実が最大の問題かも知れないのです。

 では、世界的に見れば、はぼ充分な教育機会を与えられているはずの日本人の理性レベルは如何ほどのものであろうか?
日本の小中学校教育においては、信教の自由と言う日本国憲法の立場から、特定の宗教による精神の教育は出来ず、また哲学的思想に基づく教育はイデオロギー教育だとして、やはり踏み込めずにいる為、精神が育つ重要な時期の教育でありながら、その時期に学校は人間の心を相手に指導する機能を殆ど持っていないし、高等学校受験の為の予備校と化していたり、高等学校もまた大学への予備校と化していて、およそ人間の情操を育てる為には不充分な環境となってしまっている観もあるのです。
そして、やっと宗教や哲学を正面から扱える環境が大学にはあるものの、充分な講義が全員に行われる訳ではなく、そうした学問を専攻した者だけがその深みに接するだけに留まり、思想、哲学、宗教といった分野が、昨今の若者にうけるわけではないのか、多くの若者は真剣に哲学や宗教を学ぶことなく過ごし、また、すでに若竹のような心の成長期は受験生の時代に過ぎてしまっていたりするということもあるかも知れず、深く自己を見つめ、自身の心を鍛える事も無く、人間としての生き方に確固たる信念も自信も無く、僅かな悟りもないまま、時が過ぎて行き、生体の仕組みであるホルモンの命ずるままに流れ、子供を宿す事で結婚を決意し、否応なしに子供を育てねばならぬ、親というものになって行くのかもしれないのです。

続く





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最終更新日  2013.11.14 17:37:49
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