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2007.09.15
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カテゴリ:ちょっと思うこと
ありふれたことだが、「ああ勘違い・・・」のようなことは良く有ることだと思う。

有名な「ことわざ」のような言葉を勘違いで使っている人も多く、そして誤った解釈をする人が大多数となると、もはやそれを誤りと訂正できなくなるような事態も生じるのが言葉と言うものの性格だろう。

ヨバイ」とタイプして変換すると「夜這い」と変換される言葉が有るが、夜間、そっと人目を忍んで女性の所に参ずるといった不道徳な行為のことを指し示す言葉として現代では扱われるが、本来の言葉は、古語における「よばひびとどもを呼びにやりて、」などの〔「呼ばふ」の連用形から〕男が求婚をし、女の許(もと)に通うことであり。通い婚そのものの形態から生じた言葉であるはずだ。

平安朝の頃では、男が女の所に通う形式が一般であった婚姻も、やがて嫁入り婚が一般的になると次第に「よばひびと」=「婚姻相手」といった意味を失い、女性の所に通う行為を、その「よばひ」の読みの語韻から「夜這い」などと表現する人も現れ、すっかり誤解、誤用されるようになった。ということらしい。

同様に諺や慣用句でも、誤用されているが、すでに誤った解釈がまかり通っているものがあると思うので、ちょっと挙げてみよう。

東京大学への進学は当に「狭き門」と言えて、誰もが通れる道ではない。という風に使われる「狭き門」であるが、この言葉を「汝、狭き門より入れ」と言う言葉を引用して使う人も多いと感じますが、こうした表現に疑問を持っている人はどれくらいいるだろうか?



「狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし。生命にいたる門は狭く、その路は細く、之を見出すもの少なし。」という。『マタイによる福音書』の訳文の一節だが、この聖書の訳文に起因すると思われる「狭き門」の解釈は、その一節を全体として読めば、明らかに多くの人が入りたがる門だが、入れる人は少ないと言う意味とはほぼ正反対である。
『狭い門から入りなさい、なぜなら、滅亡につながる道は広く、その入り口は大きく、そこから入る者は多い。幸福に繋がる入り口は狭く、そこへの道は細く、それを見つける者は少ない 。』 という文の解釈は、誰も気付かないような目立たない入り口にこそ本当の道筋の入り口は在り、そこへの道も狭い物だ。と言う意味であるから、数多の受験生が目指す出世街道の登竜門に例えられる東京大学は目立たない入り口でもなく、見つけにくいとも言い難いものだ。

したがって、受け入れてもらいたいが応募者が多く全員は受け入れてもらえないような状況の例えとしての「狭き門」と言う表現はマタイによる福音書の中に出てくる「狭き門より入れ」と言う文言を引用することは誤りと言えると思うわけです。

ただ聖書の中の『ルカによる福音書の中の13章24節』に「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ」という言葉があります。

この表現はまさに入りたいが多くは入れないという東京大学のような状況を連想させますから、マタイによる福音書における「狭き門」という言葉の響きの良さと、ルカによる福音書の「狭い戸口」以降の文の意味をゴチャ混ぜにした人がいて、それが今の日本語の「狭き門」という言葉を生んだのかもしれないと思われるのであります。

つまり「狭き門より入れ」というマタイ伝を引用するなら、誰も気付かないような入り口にこそ、大きく開ける世界が待っているのです。といった表現で話を締めくくらねば、知ったかぶりで墓穴を掘ると言うことになるのかも知れないのですね~・・・・。

マタイによる福音書の「狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし。生命にいたる門は狭く、その路は細く、之を見出すもの少なし。」と言う一節を分析し考える時、マタイが書き記した当時、キリスト教徒は極少数派であったことが伺われ、マイノリティーが自分たちの正当性を訴えるのに、「生命にいたる門は狭く、その路は細く、之を見出すもの少なし」という論調に陥っていたものと推察することが出来るのではないだろうか?

現代のキリスト教国家ではキリスト教徒はマジョリティーであり通用しない表現にも感じられてしまうのは、私だけだろうか?キリスト教徒ではない・・・・無神論者の私の感じていることですが。

もう一つ・・・・。

ビートルズのマジカル・ミステリー・ツアーに収められている、ストロベリー・フィールズ・フォーエバーという曲を「イチゴ畑よ永遠に」と訳して、そのままを連想している人も多いかもしれないと感じるのだが、その曲の歌詞を理解している人も少ないと思うし、「苺畑よ永遠に」という小説が書かれたりしていることもあって誤解が広がってはいないかと案じてしまうのですがいかがだろう?


団塊の世代の私たちの間で、ストロベリー・フィールズと聞けば、即ジョンレノンの作詞になる、ストロベリー・フィールズ・フォーエバーを思い出さない人は少ないだろう、いや、むしろ千日紅という花の名前として「ストロベリー・フィールズ」を知っている人のほうがきっと少ないように思う。

「苺畑よ永遠に」と訳されて、そういうタイトルの小説さえ書かれたりしているからよけいにそう思っている人が多いことだろう・・・・。

ビートルズや彼らのことに詳しければ、このストロベリー・フィールズ・フォーエバーの歌の詩の「ストロベリー・フィールズ」というフレーズが「苺畑」と訳されるべき言葉でないことは知っているはずだが、多くの人々は、「苺畑」と思っているかもしれない。

少年時代ジョン・レノンは両親に見捨てられて養母に育てられたのだが、彼の住むリバプールには「ストロベリー・フィールズ」という名の戦災孤児院があって、ジョンはよく遊び場にしていたようだ・・・それが有名な曲「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」のモチーフとなった訳なのだ・・・・。

その戦災孤児院の名が「苺畑」と言う意味合いで付けられた名前なのか?「ストロベリー・フィールズ(和名=千日紅)」という花の名を元に付けられたのか?、今の私が調べ知る術も無いのだが、ストロベリー・フィールズという花の英国での花言葉は「色あせぬ愛」ということだから、やはり戦災孤児院と言うことを合わせても、私は後者の花の名前に由来するのではないかと思うのだ・・・・?

10数年前・・・ストロベリー・フィールズ戦災孤児院は閉鎖され、英国ではジョンゆかりの地「ストロベリー・フィールズ戦災孤児院」が無くなったとニュースにもなった。

しかし、ストロベリー・フィールズ戦災孤児院の建物は取り壊されずに移設され、今もリバプールにあり、鬱蒼とした木々に囲まれて、市民の瞑想などの出来る公共の場所として永く保存されることになったと聞いている。

ストロベリー・フィールズ・フォーエバー・・・・・ジョン・レノン・・・フォーエバーと言ってみようか・・・・。

こんなことを書いた私ですが・・・・それこそが、「ああ勘違い」でないことを祈りたい。





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最終更新日  2018.07.30 16:49:40
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