カテゴリ:カテゴリ未分類
ルネーデュボスがいうように、「科学知識は
過去において人間がよって立っていた伝統的価値を弱め、崩壊させてしまった のにもかかわらず、その代わりとなる新しい倫理体系を提供せず、人間に生き る糧をあたえたが、生きるする。そこから、人と人との連帯感が急速に失われ、不信と疎外がはじまり、 そして断絶がくるという現象が生ずるのだ。 倫理体系を失って、生きる意義や目的をはっきり示すことができなくなった 社会は、当然、混乱し、社会の混乱には個人の混乱が結びつく。 努力がはっきり結果に結びつかないような世界-あるいは、結果は単に偶 然なものでしかないといった世界 いうならば、生きる目的と意義を見出す ことのできない世界では、人間は、努力する情熱を失ってしまう。実験でいろ いろな混乱した合図をあたえられたネズミのように、人びとは神経症にかか り、ついにはひどい不活発状態におちいるようになる。 こんにち、社会にはすでにこのような個人的ニヒリズムの兆候がいちじるし く見られる。それは冷笑主義、物質主義、少ない利益でもよいから早く手に入 れることを好む風潮などにあらわれている。それはおそらく多くの若い世代 -いわゆるビート族、ヒッピー族、フラワー族、ドラッグ族、その他 の 社会基準への抗議とそれからの離反の背景をなすものであろう。これこそが 「断絶の時代」と呼ばれているものである。 「断絶の時代」のつぎにくるのは「憎悪の時代」である といった憎悪のつぎになにが来るか? 来るのは「崩壊の時代」であろう。無感動状態にはじまる人間の崩壊だ。そしてすでにそれがはじ まっているのを、われわれは、世界の若ものたちの上にまざまざと見ることができる。 これは要するに、機械系の発する巨大な玉不ルギーが、人間系のエネルギーを、ようしゃなくおしつぶしてゆく必然の姿なのだ、と。つまり、あたらしい かたちの自然陶汰がはじまっているのだ。かくしてホモーサピエンスは崩壊し消滅する。かつてこの地上にさかえ、そしてどこかに消えていったピテカントロプスやネアンデルタール人たちのように。そのあとにどのようなヒトが 出現するのか? あるいはもはやヒト属は絶えてしまうのか。あなたはどう思うか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.07.18 14:24:30
|
|