命の期限。
もし、自分の命の期限がわかったらどうするだろう?子供の時は、長生き出来ないかもしれないという思いがリアルにあった。最初は投げやりだったし、自分になんの期待もしなかったけど、年月と共に少しずつ変わっていった。どんなに健康でも明日のことは誰にもわからない。だったら、自分の行きたいように出来るだけ生きよう♪って。で、年月は過ぎ去り、私はまだ生きている。地球も人類もまだ健在だ。例えば、あと余命わずかと言われた人や難病と言われている子供たちの笑顔があんなにも穏やかなのはどうしてだろう?もちろん死への恐れが全くないわけではないし、病気は辛いはずだ。『命の期限』がなんとなくわかるからこそ、日々を精一杯に生きる。そこには『覚悟』もしっかりあるから明るく笑えるのかもしれない。自分自身を振り返ってみて思うのは、「どんなに苦しんでもそれは一生続かないんだな。」ということ。本当に心から欲すれば、絶対に変えられる。苦しくて辛くて孤独感に陥っていても、そこで己の痛い部分に気付けば、必ず光は射してくれる。そして、『そんな時もあったなぁ。。』と笑って話せるようになる。私の命の期限はわからない。いつも『明日かもしれない。』と思いながら悔いなく楽観的に生きたいです。あと気付いたのは、『孤独』だと思い込んでいても、周りを見回せば、必ず誰かがいてくれる。閉ざしているのは自分の方だったことに気付いて扉を開くと世界が拡がる。人は生まれて来る時も死ぬ時も『ひとり』だ。だけど、生きてる時は必ず誰かの手を借りている。それは直接的なものばかりではない。気付かない間接的な関わりで皆生かされているんだと思う。本能的に『ひとり』で生きていけないのがわかってるから『拒絶される』ことを恐れてしまうんでしょう。傷つきたくないから、深入りしない。でも、傷つけば傷つくほど人の痛みもわかるようになるし、本当に強くなれるんだなぁと思う。私はやっぱりとことん味わい尽くしたい。