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カテゴリ:作品紹介
ごんどうごんぞうです。今夜はアホみたいに寒いですな。
いつまで寒いんやろ? ボクは寒いのが大嫌いです。それに雨も。 冷たい雨が降っている っていう拓郎の歌知ってます? それは好きですが。 花冷えって言葉があるくらいですから、まだまだ寒い日もあるんでしょうねぇー。 「サクラ」が出来ましたので、今夜から何夜かに分けてまずはここに発表します。 桜が散る前で良かったです。 私は懐かしい駅のベンチに座り、乱れ散る桜雪の中、八重子の事を心の底からいとおしく思った。横で涙ぐむ桜子の肩を抱くと、涙を左手の甲でぬぐい無理に笑って見せたから、思わずギュッと引き寄せると、体温が混じり合い、心が暖かくサクラ色に染まった。 「さあ。ちょっと思い出せしませんわ」 八重子は笑みを浮かべながらも、嘘ではない顔で言った。あの頃と全く変わらぬ手付きで、素早くお好み焼きのタネをかき混ぜ、熱くなった鉄板の上にキレイに丸く載せる。そして冷蔵庫から冷えたビールを出して栓を抜いて、カウンターの上にドンと少し乱暴に置いて、同じ冷蔵庫に入れておいたグラスを横に置く。 「焼けるまで飲んどいて下さい」 その台詞まで昔と一緒だった。私は懐かしさに少し胸に詰まるものを感じながら言った。 「そっか。覚えていませんか。残念だけどしゃーないね。せめて一杯付き合って下さい」 少し思い出した京都弁を織り交ぜながら、カウンターのビール瓶を八重子に向けた。 「すんません。こんな早い時間から飲んでしもたらバチ当たりますな」 そういいながらも、グラスをいそいそと冷蔵庫から出して来て、私からビール瓶を静かに奪い、まず私のグラスに注ぎ、そして自分の方に注ごうとして、少しの間を開ける。それを察してタイミング良く、今度は私がビール瓶を受取り、彼女のグラスに注ぐ。昔と同じだ。他の客とこんなやり取りを交わす八重子を、私はじっと見ていた気がする。 本当に八重子は私の事を覚えていないのだろうか。 八重子はカウンター内の隅に置いているドーナツ型の緑色のスツールに座って、煙草に火をつけた。煙草一本吸い終わった位に、お好み焼きをひっくり返すのが、ちょうど良い加減らしい。そして真っ赤な口紅の跡がフィルターに付いた煙草を、足元に置いている水が張られた大きめの缶に無造作に落とす。ジュッと小さな音がすると、八重子はもっと大きな音でジュージューいっている鉄板に向かい、お好み焼きを大きなコテ二つ使って裏返す。そして残ったコップのビールを一気に飲み干す。 「もう一杯どうですか」 「いや、仕事が出来ひんようになるし、一杯で。おおきに」 これも昔のままのやり取りだ。あの頃と全く同じ空間にいるような錯覚に陥るのは、改装した様子がない店内と、八重子の垣間見せる美しさが変わらぬせいなのかもしれない。 飛び抜けた美人というわけではない。ちょっとした仕草がキレイ、いや、私の好みなのだ。煙草の煙を遠慮するように伏せ目がちに吐き出す唇、コテでお好み焼きを自由に操る時の誇らしげな顔と似合わぬ細い指先、ビールを一気に飲み干す時の少し汗ばんだ喉の動き。カウンターごしに八重子を見ている私は、おかしな例えだが、まるで檻の中の大好きな動物を一生懸命に見て、新しい仕草を発見しては喜ぶ少年のようなものだった。 まさかもう一度、この町に戻って来るなんて、あの頃は思いもしなかった。大学の四年間を過ごしたこの町にはいろんな想い出が詰まっていた。観光シーズンは、苔寺周辺に向う人々で駅前は混み合い、嵐山へ続くエンジ色の電車も乗客で一杯になる。 『お好み焼きやえちゃん』は駅を降りて、苔寺へ続く道沿いにあった。でも八重子は観光客で店が混雑するのを嫌い、夕方観光客が引いた時間帯に店を開けて、夜も客が来ない時には早々と店じまいしてしまう決して商売熱心とは言えない女主人だった。 二十五年ぶりに私は単身赴任でこの町に偶然戻って来た。大学を卒業して就職した東京の広告会社で転勤となり、会社が提供してくれたマンションがたまたまこの町だったのである。この町の名前を書類で目にした時、一番に八重子の顔を浮かんで来た。 引越業者がほとんど片付けてくれたので、新しい部屋の整理は簡単に済んだ。シャワーを浴びて、新しいポロシャツに袖を通すと、何か新鮮な気分になり心がときめいた。 桜の季節に多い心持ちなのだろうと思いながら、私は八重子の店に向かった。途中の町並は随分変わっていたのだが、八重子の店だけ忘れ物のように、昔のままそこにあった。『やえちゃん』と白く抜かれた紺色の暖簾が見えた時は『黄色いハンカチを見つけた健さん』のような気分だった。時間は夕方の五時を少し過ぎた位、入口の戸を開けて暖簾をくぐると、一呼吸置いて、無愛想な八重子の声がした。 「いらっしゃい」 まだ明かりがついていない店内は真っ暗に感じ、八重子の姿をすぐに確認する事が出来なかった。ちょっと目が慣れて来た頃、明かりが付いた。 カウンターには六人、他に四人掛けのテーブル席が二つの小さな店で、私はカウンター席の一番端に座り、昔のままの壁に貼られたメニューの札から一つ選び、一緒に瓶ビールを頼んだ。キャベツを刻んでいた手を止めて、八重子は鉄板に火を付けて、金属製のボールに材料を入れ始めた。 「私の事、覚えてますか? 二十五年程前、よく来てたんですけど」 八重子は一瞬手を止めて、私の顔をじっと見た。 よく来ていたとはいえ、当時は貧乏学生の身だったので、アルバイトのお金が入った時だけ通っていただけだ。私にしたら、他で外食する事がほとんどなかったので、この店の常連だと勝手に思い込んでいるのだが、八重子にすればもっと頻繁に来る常連も沢山いただろうし、月に一度の学生の顔まで覚えていられないのが普通かもしれない。 やはり、八重子は私の事を覚えていなかった。沢山の客とお酒のやり取りをしてるように、私にとっては二人だけの秘密と思っていたあの出来事も、八重子にとっては些細な事で、もう忘れてしまっているのだろう。私は残念な気持ちと少し安堵した気分が交錯し、小さく溜息をついた。 焼き上がったお好み焼きに、ハケでドロリとしたソースをたっぷり塗り、青のりとかつおぶしもまんべんなく振り、マヨネーズが細く何本か出て来る特別な容器を絞って、格子柄を描いて仕上げる。最後に大きなコテでキレイに十字を入れて、四等分にする。 「はい。お待っとうさん」 そう言って、八重子は小皿を一枚カウンターの上に置き、自分が使っていたものより一回り小さなコテを手渡してくれた。 四等分してもらったお好み焼きの一つを小皿に載せて、割箸で分けて食べる。コテのまま、口に持って来る人も多いようだが、私は熱いのが少々苦手なのでそうしている。 当時のまま美味しかった。美味しいと思っていたのに、何年か経つうちに、自分の中で味が美化され過ぎるのか、あるいはそれより美味しいものをその後沢山知ってしまったせいなのか、久しぶりに食べたそれが期待していたものと違ってガッカリする事が多い。 「美味しいです」 思わずそう呟くと、八重子は嬉しそうに笑った。 「二十五年前ねぇ。うちも若かったやろ、今より随分」 八重子はもう一本、煙草に火をつけた。食事をしている時の煙はイヤなものだが、真っ赤な唇から出される白い煙は、細く長く伸びて静かに消えて行き、美しくさえ思えた。 「いえ。全然変わりませんよ。お店も八重子さんも」 「あら、嬉しいわ。おおきに。あんた、うちの名前、知ったはるんやね。そっか。暖簾に大きく『やえちゃん』って書いてるわな」 八重子は少し遠い目になり、細い煙を静かに私にかからないように吐いた。 私が学生時代に『お好み焼きやえちゃん』を訪れていたのは、ほとんどが開店してすぐの時間だった。それはまだお店が空いている点もあるが、遅い時間帯になる程、酔った客が多くなり、大きな声でわめかれるのも勿論嫌だったが、そんな客と楽しそうにしている八重子を見るのが、たまらなく嫌だった。一度そういう状況になった時には、さっさとお勘定を置いて逃げるように帰った。 八重子は当時三十半ばで、私とは十歳以上は離れていたと思う。学校やバイト先に行けば同年代の女性も沢山いて、私に興味を持ってくれる女性の一人や二人はいた。しかし、その女性達とは比べ物にならない程、当時の私は八重子に夢中だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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