ビジュアル過多
生徒が授業中にあかさたな・・・と言っているのでどうしたのか?と聞くとさ行の次が何行かわからないので・・・と言っていたそこで僕は頭の中に50音表が思い浮かばないのか?と聞くと思い浮かばないそうだそこでハッと思ったこと最近の子はビジュアル過多になりすぎて逆に見た目での型が印象として脳に入っていないのでは?ということ確かに一つのことを思い出すのに順番に挙げていかないと出てこないなんてことをよく見かけたりする小さいころからテレビや映像ソフトなどビジュアルが豊富な中で育ってきたために一つ一つの姿かたちのインプットが中途半端なのではないだろうかあるいはインプットせずにその時々の場当たり的な対処で済ましてきているのではないだろうか文字という形の映像と考えたときさらにはアルファベットという日本人にとっては意味の感じられない記号を見たときに英文や英単語は意味のない記号の配列にしかすぎず数学の数式も数字とアルファベットの意味のない配列としか目には映っていないのかもしれない10年ほど前の教科書から今のビジュアル脳になった子供に合わせてカラフルで絵や写真ばかりの大きなサイズの教科書になったビジュアルに慣れているから読むことよりも見た目の印象の方が学びやすいだろう頭に入りやすいだろうという考えなのだろうがおそらくは正反対でビジュアル脳になっているがゆえに一つ一つの映像が軽くしか見えていないに違いない結局はビジュアルでわかった気にさせただけで中身の伴わないまま学年を積み重ねてきただけなのだ同じ世代の小学生なのに中学受験のために勉強する子は文章が多い参考書や問題集を使って力をつけていける能力を持っているのだからいかに非受験の小学生たちが持っているはずの能力を鍛えられることなく見過ごされてしまっているのかといえようipadなんか使っての勉強なんてもっての外だと思っている読み書きそろばんって昔から言うようにたくさん読んでたくさん書いてたくさん計算するという日本古来のきっちりと確立されて勉強法があるのに・・・子供に合わせた勉強法ではなくあるべき勉強法に子供を合わさせていくべきなのだ(そういう意味では教育産業の発展はある意味功罪といえよう所詮教育産業なんて商業主義、儲け主義なのだから)