カテゴリ:文学・音楽
早速というか、2PACの『All Eyez On Me』を借りてきて聞いている。生前残した6枚のアルバムの最後のもので、95年にリリースされている。どんなものかと思って借りただけだが、これが想像以上に良い。しばらく、はまりそうである。まだ一枚(二枚組だが)しか聞いていないが、2PACの音楽から感じるのは、彼の剥き出しの暴力性と、そこから生まれる痛みへのcompassionというべきものであろうか。パレスチナのDAMが“連帯”しえたことも、何となく理解できる。
彼の言葉の一語一語(生憎、ラップを聞き取るだけの英語力はないが、言語など超越しているはずだ)が、突き刺すのは私自身の人生である。たぶんこの男は、世の中をうまく生きていくことを知らなかった。そうでなければ、25歳で殺されるはずもない。翻って、私はうまく生きていく術を知りすぎているが故に、人生は虚偽のコンクリート(“The Rose That Grew From Concrete”とは彼の言葉だが)で塗り固められている。拳を傷つけて暴力を振るう必要はないが、既に絶対的“暴力”の行使者である。 彼の音楽を聴いて、とにかくいろいろなことを想起した。言うまでもなくというか、まず最初はマルコムXのことだが、そこからキングやガンジー、ジョンやマンデラ、あるいはゲバラのことも。いい加減に私たちは、「反戦平和」とか「平和主義」とか「Love&Peace」といった陳腐なスローガンで対抗するのではなく、真の「暴力批判論」の地平を開かなければならない。 そしてまた(ここからはなぜか?と言うのも含まれるが)、山谷争議の労務者たち、目取間俊の『希望』という小説、原爆テロを企てた『太陽を盗んだ男』のジュリー、狂気そのものだった『ゆきゆきて神軍』の奥崎謙三、「弾(タマ)はまだ残っとるがよ」と言った『仁義なき』の菅原文太、『書を捨てよ町へ出よう』(映画)の冒頭の問いかけ(「何してるんだい?映画館の暗闇で、そうやって腰掛けてたって何も始まらないよ。スクリーンは空っぽなんだ」)、「仕舞には世の中が真赤になつた」という『それから』のラスト・シーンも。一見共通性はないように思われるが、同時に想起されたということに何かの意味があるだろう。 処世術を学びすぎた。最近では、誰かと衝突することもほとんどない。生きることの困難さを抱えていないということもかも知れないが、但しそれは「良き生」を意味するわけではない。「人を傷つけたいな 誰か傷つけたいな だけどできない理由は・・・」?そもそも、「暴力」とは一体何なのだろうか? "The Good Die Young"(2PAC) 俺の人生に未来なんかないことぐらい知ってるさ 賢いヤツほど思ったことをどんどん行動に移すんだ 嵐の前の静けさが、醜聞だらけの世の中を見極めてるのさ 大変な世の中だけど俺達は何とか生きていくよ 学校までもが戦場と化して 家の中でさえ安全は確保できない だから子供達は檻の中でしか遊ぶことも出来ないわけさ そして大人になるにつれて人を憎むことだけを学んでいく 誰か説明してくれよ、善人が早死にするわけを その一方で悪人はしっかり生き長らえる 今こそ同胞の子供達のために行動を起こす時じゃないか みんな聞いてくれ 子供達が夢も希望も抱けずに大人になるなんて そんなのマトモな人生とは言えないだろ 誰か答えてくれよ この曲を捧げたいのは、若くして命を落とした子供達 若くして死んでしまった子供達みんなに捧げるよ 汚れを知らずに死んで行ったコロンバイン高校の生徒達 安らかに眠れ Lil' young XzandaferにTasha Hardings 命を犠牲にした子供達 閉じられた小さな棺に入った赤ん坊達、安らかに お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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