カテゴリ:Muslim in Britain
3年からの後期ゼミのための面接をした。2年次後期の入門ゼミを取っており、知っている先生。3時に研究室に行くと、やはり入門ゼミで一緒の友達が一人いた。話し始めるとすぐ教授会から呼び出しがかかり、先生退出。帰ってきたのは1時間半後。それから一時間程度、現在騒がれているムハンマドの風刺画問題の話などをする(面接に行ったはずだったが・・・)。午後6時、その風刺画の件で、日テレの取材班が来た。意外な展開。取材の撮影中、部屋にてやり取りを聞いている。明日の午後2時からの番組で使用されるとのこと。その後、先生のおごりで食事に。帰宅10時過ぎ。明日・明後日のテストに差し支えが・・・。しかし、テレビの取材に出くわしたのは初めてで、興味深かった。そういえば、先生の娘さんが八王子東高校出身で、僕の三つ上の代らしい。担任団など一緒だったのかも知れない。
以下は志望理由書の一部。 1.なぜイスラム研究か? イスラム教(徒)について意識的に興味を持ち始めたのは、9.11のテロとアフガニスタン・イラクへと続く“報復戦争”への過程においてであった。殊に、2003年3月20日、アメリカが問答無用に始めたイラク戦争は、“対話不能な敵”として想定されるイスラム教徒とは一体何なのかを私に考えさせることになった。それから一年後、大学に入って初めてのゼミで、エドワード・サイードの『文化と帝国主義』を読んだ。この本でサイードは、例えばアルベール・カミュやジョージ・オーウェルといったヒューマニストと呼ばれる文学者でさえ、イスラムへのステレオタイプを受容し再生産し、そのことによってオリエントに対する西洋のヘゲモニーを補完する役割を果たしたと分析している。現代のメディアにも見られる歪んだイスラム表象が、いかに歴史的また政治的に作られてきたのかを私は初めて知った。と同時に、学問や“知”が有する暴力性についても学ぶこととなった。 更に、イスラム教徒への関心を決定的に深めたのは、2005年3月に東京で開催された「RING2005」(別資料参照)というイベントにおいて、実際のイスラム教徒(パレスチナ人・イラク人・チェチェン人)と出会ったことであった。そもそも現在世界で最も混迷を極めている場所(例えば上記の国・地域のような)は、イスラムと西洋諸国との対立によって問題が生じていることが多く、この関係性の改善が焦眉の問題であることを再確認させられた。しかし、何よりの収穫は、彼らとの2週間近くもの共同生活を送る中で、(一枚岩的でない)多様なイスラムを発見できたことである。そしてこの触れ合いを通して、私自身が抱いていたイスラムに対するステレオタイプは少なからず取り除かれたであろう(勿論、全く無くなったとは言えない)。 昨年7月のイギリスでの同時多発テロは、世界の注目を再び“イスラム過激派”(と“テロ”との繋がり)へと集めた。私にとっても、イギリスは高校時代に一年間を過ごした場所であり、この事件は殊さら衝撃であった。(イスラム)移民とはイギリス社会にとってどのような存在なのか、なぜ移民とイギリス“市民”との間の相互理解は促進されないのか、彼らに対するメディア表象がステレオタイプを助長し相互の壁を打ち立てているのだろうか。こうしたことを、現地に赴き自分の足で歩き、当事者からの話を聞くことによって考えていきたいと思い、イギリス・バーミンガム大学への留学を決意するに至った。 私の根底にある問題意識は、いかにして全くの他者同士が共生できる世界を作っていけるのか、あるいはいかにしてマイノリティが生きやすい社会を作っていけるのか、ということである。イスラムを通して、この問いに対する答えを模索していきたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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