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住所:慶南 山清郡 矢川面 院里222-3 (キョンナム サンチョングン シチョンミョン ウォンリ 222-3) 管理部署:山清郡文化観光課観光広報 Tel:+82-55-970-6421 道指定文化財第89号(朝鮮時代) 概要 朝鮮中期の有名な儒者である南溟曹植の遺跡である。曹植先生は多くの官職指令を受けたがすべて断り、学問研究と後進養成に一生を送った。この遺跡は二ヶ所に分けられいて糸里には山天斎、別廟、神道碑、墓碑があって、院里には徳川書院と洗心亭がある。 山天斎は先生が学問を修めて研究した場所で明宗16年(1561)に建てられ、順調18年(1818)に修復した。徳川書院は先祖9年(1576)に建てられ、現在建物は1926年に修復されたものである。 洗心亭は先祖15年(1582)に建てられた。曹植遺跡は朝鮮中期の偉大儒賢ですぐれた実践道学者だった南溟先生が晩年に講学した山天斎を含めて死後、彼の面倒を見た徳川書院などを一括指定した遺跡地である。 南溟曹植(燕山君7年)1501~宣祖5年、字?仲、別号山海、本貫昌寧)は、特別な才質と用工で早くから学徳を取り揃えて大成したが官職には進まないで、一生官職につかなかった。 38歳の時、献陵参奉を皮切りに何度か官職が除授になって王に面対するのを請いたが毎度上疏として意見を開進しただけだった。66歳になった日に上京して王を少しお目にかかりすぐに帰郷した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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