いり豆 歴史談義

2007/12/22(土)11:34

正岡子規のクリスマス

歴史歳時記(25)

もうすぐ、クリスマス・・・。 街の至るところで、クリスマスツリーが飾られ、 店には、BGMにクリスマスソングが流れています。 一年のうちで、最もきらびやかな雰囲気に包まれるクリスマス。 今や、すっかり日本の年中行事ですね。 ところで、「クリスマス」という言葉は、俳句の季語にもなっていますが、 これを季語として、初めて俳句に取り入れたのは、 正岡子規であったといわれています。   クリスマスの 小き会堂の あはれなる 正岡子規(1867年~1902年)は、明治の俳人・歌人。 優れた俳句・和歌を数多く残し、中でも、写実を重んじた子規の俳句は、 新たな詩情を開拓したとものとして評価されています。 その一方、子規は古歌の収集・分類・評価を徹底的に行い、 俳句・和歌の改革を訴えました。 子規の本質は、歌人というよりも、俳句・和歌の研究者であったといえるのかも知れません。 彼の残した作品は、そうした研究が基盤となって生み出されたものでもありました。 結核を患い、34才でその短い生涯を終えた正岡子規。 限られた時間の中で、病と闘いながらも、振りしぼるようにして、 続けられた研究・著作活動でありました。 しかし、病床にありながらも、子規は自分の運命を受け入れ、 自己を客観視する目を持ち続けました。 正岡子規という人は、好奇心が旺盛だったようで、 ハイカラで新しいもの好きでもありました。 そうした事もあって、当時定着し始めたクリスマスを祝うという習慣を、 いち早く俳句に取り入れたのかも知れません。   八人の 子供むつまじ クリスマス 子だくさんの家の、にぎやかなクリスマスの風景が目に浮かんでくるような句です。 しかし、子規自身が実際にどのようなクリスマスを過ごしていたかについて、 記録は残されていないようです。 子規の家庭は、年老いた母と妹との、東京での3人暮らしでありました。 そんな子規ではありましたが、クリスマスに対して、 一家団欒の楽しさを感じ取っていたのではないでしょうか。 今年の、クリスマスイブはちょうど休日。 私のうちは、例年通り、ケーキを焼いて、シャンパンを用意しての家族パーティーです。 皆さんは、誰とどんなクリスマスを予定されているでしょうか。

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