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2007年12月15日
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カテゴリ:幕末維新

楽天仲間のFC司馬さんからのお薦めで、
先日、「長州ファイブ」という映画のDVDを借りてきました。

幕末、長州藩の5人の若者が命がけでイギリスへ密航し、
進んだ西洋の近代文明に触れたことから、
日本の近代化に情熱を持つに至る様子が、生き生きと描かれている物語です。

イギリスへ密航した若者とは、この5名。
井上聞多・・・後の馨。外務大臣等の要職を歴任した明治の大物政治家。
伊藤俊輔・・・後の博文。ご存知、日本の初代総理大臣。
遠藤謹助・・・大阪造幣局長を務め、桜の通り抜けを発案したことでも有名。
井上 勝・・・鉄道の敷設・普及に尽力し、日本鉄道の父と呼ばれた人物。
山尾庸三・・・工部卿など工学関連の重職を歴任し、日本工学の父と呼ばれた人物。

いずれも、帰国後、この留学経験を生かして大変な活躍を見せ、
明治日本の近代化に、それぞれ、大きな足跡を残した人たちです。

そして、この中で、映画の主人公として取り上げられているのが山尾庸三。
派手さもなく、知名度も決して高くありませんが、
日本が工業立国となる基盤を作った、ともいわれるほどの功績を残した人物であります。

そこで少し、映画「長州ファイブ」を振り返ってみます。

まず、映画の冒頭シーンは、
イギリス人が薩摩藩士に殺傷された、生麦事件の場面から始まります。
尊王攘夷を掲げたテロ活動が、最盛期を迎えていた幕末の文久年間です。

山尾庸三を含む、長州の志士たちも英国公使館の焼討ちを行うなど、
攘夷活動を行い、暴れまわっていました。

しかし、山尾たち5名は、藩から英国留学の機会が与えられることになり、
近代技術を学び「生きた機械」となって帰ってくることを決意し、イギリスへ密航することとなります。

イギリスでは、蒸気機関車が動くさまを、初めて見て衝撃を受け、
また、立ち並ぶビル群を見ては、圧倒され、
銀行のしくみを聞いては、驚かされました。

どれ一つ、日本にはなく、日本が勝てるものは何一つない、ということを、彼らは痛感しました。
そうした中で、彼らは、
藩のためではなくて、日本の国のために役に立ちたい、
日本の国を何とかしたい、
という情熱を、強く持つに至ります。

やがて、彼らは、同じ志を持ちながらも、違った方向を選ぶことになりました。
井上聞多と伊藤俊輔の2人は、日本の攘夷戦争をやめさせないといけないと思い詰め、
急遽日本へと戻っていきます。

残った3人も、それぞれが、自分の進むべきテーマを見つけ、それを追求するために、
ロンドンで別れ、個々が目指すべき道に進み始めました。

そうした中、山尾庸三は、工業に注目します。
特に、造船業を学ぼうと考え、造船のさかんなグラスゴーへと向いました。

造船所で、実習生として造船術を学ぶ日々を送る毎日。
しかし、そんな中、聾唖の婦人エミリーと知り合い、
淡い恋心を抱いたりもします。

当時の、造船所内は、鋲を打ち込む音のため、常に大音響でありました。
そのため、何年も働くと耳が遠くなる人が多く、
又、逆に、造船所では、聾唖者でも十分に仕事ができたのです。

山尾は、聾唖者も、教育によって健常者以上の能力を持てると考え、
このことが、帰国後、彼が聾唖者教育を提唱することにつながっていきます。

やがて、山尾が日本へ帰国する日が近づき、エミリーとの別れが・・・。
というところで、この映画は終わっています。

幕末の頃の日本や、19世紀のイギリスの様子がとても生き生きと映し出されていて、
画面から、臨場感が伝わってきますし、
イギリスで初めて蒸気機関車を見て、衝撃を受けるシーン等も印象的。

若き日の情熱を、日本の将来にかけた彼らの青春群像としても見ごたえがあって、
幕末・維新史に興味のある方には、是非お薦めの映画だと思います。

ちなみに、映画のその後、帰国してからの山尾庸三について。

帰国後の、山尾が残した功績の大きなものは、工業教育と聾唖者教育推進についての
明治政府への提言であったと言えるでしょう。

明治元年(1868年)に、山尾はイギリスから帰国。
明治4年(1871年)には、工部大学校の設置と聾唖学校設立を明治政府に建白しました。

「たとえ今、日本に工業がなくとも、人を育てれば、その人が工業を興す。
 近代化とは、技術を学ぶことだけではなく、人間に近代文明を教えることも重要である。」

というのが、山尾が英国留学から学んだ考え方でした。
そうした、工学教育の基盤の上に立った日本工業発展への展望を彼は描いていたのです。

明治6年(1873年)には、そうした山尾の提言が実現し、
工部大学校(現在の東京大学工学部)が開校。
その後も、工部卿など工学関連の重職を歴任、
日本工学会会長も30年以上にわたって勤め、日本の工業振興の第一線に携わり続けました。

一方の、聾唖者教育についても、山尾は活動を続けました。
こちらも、山尾の働きかけにより、東京に日本で初めての聾唖学校「東京楽善会訓盲院」が
明治9年(1876年) に設立されました。

聾唖者も、教育によって健常者以上の能力を持てると考えていた、
そんな山尾が、グラスゴーの造船所での体験から学んだことを、
日本において実現したものと言うことができます。

山尾庸三、大正6年(1917年)没。81才でした。

日本の未来をはるか遠くまで見据えて、
この国の近代化を願い、教育に情熱を燃やした山尾庸三。
彼の功績が、現代の先進国日本の大きな土台となっている、といえるのではないでしょうか。
彼が「日本工学の父」と称されている由縁も、ここにあると思います。

以前に書いた長州藩留学生の関連記事 井上聞多と伊藤俊輔 
興味のある方は、こちらも合わせてご覧下さい。





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最終更新日  2007年12月18日 19時30分27秒
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