D51 146
静岡市に保存された蒸機として有名だったD51 146号機の解体&解体中止のニュースが流れて、はや数ヶ月が経過しようとしています。全国から蒸気機関車が消えようとしていた1960年代後半から70年代前半にかけて、SLブームという流行が発生して、今でいう鉄チャンの姿が全国で見られるようになったそうですが、当時のブームは社会のサブカルチャーではなく、世論を動かし全国で蒸機が保存される流れに繋がりました。現代でも、テーマが蒸機となると、マスコミが取り上げ、動態で営業運転ともなれば、商売は半ば成功し社会現象にまで昇華させる力があります。あるいは、当時の流れが現代にまで綿々と繋がっているという見方もできるかもしれません。しかしながら、蒸機そのものが40年前に姿を消し、その後新製機が営業運転をしているわけではありませんから、現在の保存機は時間の経過と共に老朽化は避けられない現実であることも忘れてはいけないでしょう。そのなかで、一旦解体が決まった蒸機が世論に押されて解体中止となり、とはいえ公共団体による保存はできないという厳しい現実の谷間に陥っている現状で、次はどうなるのか?という関心の的になっています。これは蒸気機関車を何と捉えるかによって、価値が変わることに起因することを、そろそろ社会認知として持たなければならない時代になったということでしょう。すなわち、動態保存(レストアして営業使用)なら、1両1000万円。他の動態保存機よう部品取りベース車両なら、1両500万円静態保存なら、1両△1000万円これらのほかに、維持・保管・移動・修繕・復元等々、各種コストが加わっていくことになります。つまり、ひと口でSLとか蒸気機関車といっても、一台一台の目的やコンディションによって価格は大きくことなるということです。要するに骨董品と同じです。そのあたりを踏まえた上で、一歩先に進めるかどうかが問われている、そういうことだと思います。もちろん、きれいに外観レストアして、永く保存してほしいとは思いますから、私がそれだけ力を持っているなら、喜んで譲り受けたいと思いますが、現実の話ではないから止めておきましょう。D51 146履歴1938-11-26 日本車輛名古屋工場 製番670 札幌局新製配置1938-12-15 使用開始 配置 追分1944-4-16 長万部1963-7-1 旋回窓取付1967-9-18 重油併燃装置取付 1500L1973-5-23 小樽築港1974-3-31現在 岩見沢第一1975-12-14 最終運転1976-2-4保存 静岡市駿府城公園1976-3-1廃車 岩見沢第一2004-3-8 城北公園本機脇には、私の歩んだ道という案内看板がある。「私たちD51形蒸気機関車は、D50形の改良機として昭和11年(1936年)から20年(1945年)にかけて、全部で1115両が造られました。日本の代表的な機関車で、通称「デゴイチ」と親しまれました。私は、その中の146番めに名古屋の日本車両株式会社で生まれました。北海道で働くことになった私は、岩見沢機関区や追分機関区に籍をおき、室蘭本線や函館本線などで37年間もの長い間雪の日も風の日も、いっしょうけんめい働きました。この間走った距離は、地球67周に相当する2,675,000キロあまりになります。そんな私も、昭和50年(1975年)12月14日、室蘭本線を最後に引退いたしました。静岡には、昭和51年2月4日に来ました。みなさん、いつまでも大切にしてくださいね。」感謝!