【奇縁】
* * * 【奇縁】 私は、椎名誠が大好きである。 作品は勿論だが、私が何よりも好きなのは、あの笑顔。絶対に悪い人ではない!と思える、福々しい笑顔。見ているこちらの顔もほころんで来るのがよくわかる。 テレビに映ると、何を置いても見入ってしまう。何の話なのか、何を喋っているのか、勿論、聞いちゃいない。横を向いても、前を向いても、斜め上でも、どの角度でもいい。糸のように下がった目と、白くて大きな歯。一緒にいたら、怒らずに済む穏やかな人生を送れそうな気がしてしまうのだ。嗚呼、私の椎名誠よ! 話は変わるが、先日、ある写真展に出かけることにした。今年の一月に、「語りの会」をさせて戴いた、あのギャラリーセッションハウスのオーナーからの案内を戴いてのことだった。本来、私は、絵画よりも写真の方が好き。写真の掛けてある場所では、つい歩みを止めてしまう。 『 渡辺一枝〔チベットの写真展〕 』一枚のはがきを手に、私達は出かけた。あの時、セッションハウスで伴奏をしてくれたピアニストの岡田和樹氏も誘った。彼も写真家の一人でもあるので… <渡辺一枝>という作家は知っていたが、同姓同名の写真家は知らなかった。どんな人なのだろう…どんな写真を撮る人なのだろう…ワクワクしながらギャラリーに入った。 受付で名前を書くと、民族衣装を纏った一人の小柄で上品な女性が「ありがとうございます」とにこやかにお礼を言って下さった。この方が渡辺一枝さんだというのはすぐにわかったが、私には少々意外だった。写真家、カメラマン…というと、ポケットの沢山付いたベスト、Yシャツにジーンズ…そういう姿の人(私の友人の女性カメラマンも同じ)しか知らなかったし、正直言って、30~40代位の方で(失礼!)体も大きな方を想像していたからだった。およそ、チベット高原を馬を駆って半年間も走り回ったとも思えない、物腰の柔らかい素朴な笑顔を見せる聡明な方だった。ご説明を戴きながら、中に入った。彼女の声が柔らかくて、耳に心地よく響いた。 チベット高原に広がる壮大な風景…抜けるような青空と大地…人懐こいチベット族の少女の笑顔…額が褐色に光る働く老人の姿…立ち並ぶ若者達の民族衣装が鮮やかだ…どの顔もいい…どの表情もいい…動物の表情までもが穏やかだ… どの顔も日本人そっくりで…というより、日本人自体がモンゴリアンで、チベット族と一番近いDNAだというのだから無理もない。気の遠くなるような懐かしさを覚えた。昔、こんな素朴な笑顔や純粋な表情が、私の周り…いや、日本中のあちこちに散らばっていた時代が確かにあったはずだ。いつから変わってしまったのだろう。いつから失ってしまったのだろう。渡辺さんは、そのことをレンズを通して訴えているようだった。 人間に帰ろう!人間に戻ろう!人間性を取り戻そう! 知的で控え目な、この小柄な体のどこに、そんな情熱が詰まっているのだろう…と、敬意と驚異をもって、改めて彼女を見つめた。そうしているうちに、セッションハウスのオーナーの伊藤氏が上がって来て、私達を紹介してくれた、四人で、かなり興奮(私だけ)しながらの談笑を終え、帰ることにした。 『バター茶をどうぞ』という写真とエッセイの本を求めると、渡辺さんは、最後まで絶やさなかった静かな微笑みとともに、本にサインをした後、大きめの茶封筒に入れ、手渡して下さった。卒業証書でも受け取るように、自分の手に乗った封筒の下の方に印刷してある文字に、一瞬、目が走った後釘付けになった。 「?…?…椎名誠…事務所?えーッ!?しいな まことぉ~??私、私、この方の大大大フアンなんですよウ!…でも、どうしてこの封筒が…」キョトンとして訝しがっている私を見て、伊藤氏は大笑いをした。渡辺さんも、クスクスと笑い出した。そして、小さな声でおっしゃった。 「私、椎名誠の家内です…」 「えーーーーーーーーーーーッ!!」 車椅子から落ちそうな程の大きな声で叫んでしまった。「あ、あの、握手してくださ~いッ!」次の瞬間、私は、完全なるミーハーになって、彼女の手を握りしめていた。「ホントですか!ホントにホントですかぁ?嘘みたーーいッ!私、私、どうしよう!椎名さんの奥さんと握手してるうーーーッ!やったぁ!」 かなりの興奮状態で「キャア、キャア、わあ、わあ」言ってる私の横で、岡田氏がカメラを抱えながら、可笑しそうにゲラゲラ笑っていた。その岡田氏が、帰る車の助手席で呟いた。「あ、写真取るの…忘れた!」「バ、バカーーーーーーーーッ!」あまりにも舞い上がった興奮状況に圧倒されて、シャッターを押すのを忘れたようだ。ま、無理もない! 何たる偶然か…。何という奇縁か…。こんなことがあるなんて…。何というご縁なのだろうか。手繰り寄せられた…そうとしか言いようがない。事実は小説よりも奇なり…。 別な写真家<わたなべかずえ>さんではなく、写真家でもあり、作家でもあるあの<わたなべいちえ>さんだったのだ。よくよく考えればわかることだったのに何ということか…あまりにも不覚な、あまりにも単純な私であった。■渡辺一枝さんの書籍はコチラです。■椎名誠さんの書籍はコチラです。■コメント&応援メッセージ掲示板http://bbs.avi.jp/463182/* 著作権はOffice A.N.Kとヒーリングアート館に帰属します。個人・法人問わず掲載されている全ての文章・画像の無断転載を禁じます。It is prohibited to copy a part or the whole of this website without permission.Copyrights : Office A.N.K.& Healing Art Gallery. All rights reserved.