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カテゴリ:子育て
大地震で水道も電気もストップ。地震の日は余震も激しく、みんな家で過ごせず、外へ待避してました。でも暗くなって冷えてきて、各自真っ暗の家へ帰っていきました。
暗闇の中、手動ラジオを聴きながら親子3人で心細く夜を待ち、早めの就寝。翌朝4:30頃に電気が復旧し、ほっとしました。水道は使えず、トイレも流せず。 家にあったお水でご飯を炊いたり、お湯を沸かしてカップめんを食べたり。それから、朝9時前近所のスーパーへ。長い列ができていたけれど、とりあえずペットボトルのお茶を2L×4本手に入れることができました。 向かいの蒸しパン屋さんはなぜか水道が使えていて、営業開始。出来立ての蒸しパンを買って家に帰りました。午後からは配給の水を貰いに近所の公園まで出かけました。公園のそばにあるスーパーが営業していて、食料を買うことができました。もちろん、すごい人で、カップめんなどは売り切れ。念のため、お米を補充。 夕方からはずっとニュース。福島原発の事故が入ってきて、とてつもない不安にかられ、翌朝疎開を決意。ちょうどつくばエクスプレスも翌朝開通見込みだったので助かりました。混雑や混乱もなく、京都まで移動できました。1日遅れていたら、輪番停電のパニックに巻き込まれていたかもしれません。 京都に着くと、今度は東京の親類から「電池とラジオを送ってほしい」との連絡が。電気屋さんやスーパーから電池やラジオがどんどんなくなっていて・・・。特に単一はほとんど在庫なし。手に入った分だけ送りました。 それから後は、日々ニュースにかじりつき。いつになったら安心してつくばに帰れるんだろう?とそればかり考えてます。 今日連絡が入り、ワールドファミリークラブの卒業式が中止になったことを聞きました。ディズニーリゾート自体の再開めどが立たないので仕方ありません。娘は楽しみにしていたので残念だけれど、そのためだけに娘を関東へ連れ戻すのにもためらいがあったので、ほっとしました。 日々、空気、野菜、牛乳、水道水などの汚染が伝えられ、強い余震も続き、この状況下で娘を連れ帰る気にはとてもなれないでいます。私は仕事もあるためそろそろつくばへ戻らないといけないけれど、娘はもうしばらく疎開していてもらうつもりでいます。 ただただ、今は福島原発が落ち着いてくれるのを願うばかりです。どうか安心して子供たちを育てていける環境が1日も早く戻ってきますように。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年03月23日 20時08分34秒
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