カテゴリ:本を読む女
「塗仏の宴」@京極夏彦 を読了しました。(長かった・・・) 前作の色っぽさはどこへやら。 RPGのようでしたね。 謎の過去を持つ陰陽師・京極堂が、エノキズ、キバシュー、トリちゃんほか若輩モノ2名を引き連れて「チーム京極堂」を結成し、好事家・多々良先生や、バーの女主人・潤子から情報を得ながら、次々と現れる妖怪を倒し、戸人村の謎を解き、ついには戸人村へ乗り込み、自身の過去を知る因縁の男・陰の黒幕、ラスボス・堂島大佐を倒し、囚われの敦子姫とペットのサルを救う・・・「京極堂の大冒険」!! うん、面白そう(^^; ま、正確にはラスボスは倒してないんですけど。 「京極君、また逢おう!ふぁっふぁっふぁっ^0^」と高笑いしながらヘリコブターから伸びる綱梯子につかまりフェードアウト・・・ではなくて(これじゃ怪人20面相だ)「今後の手出しは一切無用だ」と捨て台詞を吐き、京極のミニチュア版(しかし悪意の塊)・藍童子と共に消えていきました。今後も登場するから忘れんといてー風の、効果的な引き際でしたね。 たぶんこの二人、「藍童子」の憑き物落としと、堂島ちゃんとの対決・そして決別がシリーズのクライマックスになるのでしょう。 そうやって最後の最後(最期?)に京極堂は中禅寺秋彦の闇の部分・・・自身の過去を精算して、中禅寺の「憑き物」を落す、のかしらん。 人の意識や記憶というものは、とても自分に都合よくできているもので・・・ 「嫌」と思ったことは表層意識から消すことだってできる。でもそれは潜在意識に影を落します。簿記の貸借と同じ。「表層意識」というプラスと「潜在意識」というマイナスがあるのです。プラスの表層意識だけ見ていると、マイナスの部分はわかりません。 このプラス(陽)の部分とマイナスの部分(陰)を全て「言葉」の式で洗いざらい表面化し、「貸借表(バランスシート)」を作って決算する=妖怪の名前をつけて落す のが陰陽師・京極堂の役割なんですね。いわゆる「意識の会計士」ですな。 そうやって会計士により「平成●●年貸借表」という名前を付けられ決算された意識(=妖怪●●を落された状態)というのはきっと怖いくらいに「まっさら」だと思うのです。今の今まで背負ってきたものをよいこらしょと降ろした(精算した)訳ですから、心と体が軽いのと同時に、なんとなく寂しい、よりどころがないという不安にかられることもあるでしょう。時に京極堂が「落としすぎると危ない」「落さないほうがいい」というのはこのことを指すと思われます。 陰陽師とは、この世の陰陽(プラスマイナス)のバランスを操る(保つ)者。 岡野玲子さんの漫画「陰陽師」を読んだときにも思いましたが・・・「真理(=神様のルール)」を担うが故に、しんどい商売ですね^^; そして作者はこの「しんどさ」に着目します。シリーズが進むに連れて、京極堂のしんどさ(心の内)が描かれるようになっていきます。前前作あたりからそれらしきニュアンスが出始め、前作では本人の言葉としてはっきり表明され、ついに「塗仏の宴」で京極堂こと中禅寺の内部にスポットが当たったのは、作者の心境の流れとして必然で、納得できます。 さらに今後のシリーズの展望を勝手にhakapyonが推測しますと、この「塗仏~」が中心となって、シンメトリー形式に作品が発表されるような気がします。椎名林檎のアルバムの曲名のように、「ずらっと前タイトルを横に並べると、タイトルの文字数や曲の内容が左右対称になっている」というアレです。 「塗仏」が丁度折り返し地点。次作から「京極堂シリーズ・第2部」の開始です。京極氏は「文章がナナメに揃っている」「改ページによって文章が切れることがない」など、様式美やビジュアルにこだわります。その職人的こだわりで、1~6作目と対になるような作品を8~12作目まで書き、13作目と14作目は「塗仏」のように前後編形式。こうして「京極堂シリーズ」はタイトル的にも構成的にも内容的にも見事にシンメトリーをなし、それはそのまま右と左が精算されて「バランスシート」となり、プラスマイナスゼロ=陰陽道となるのです! という訳で京極堂シリーズは全14巻です(←言い切るか^^;)。作者がちゃんと書けばですが。これからもあの厚みで次々と出版されますから、皆さん本棚に隙間を作っておいてくださいね(笑 その他、ストーリーに関するツッコミ。 茜を殺したのは惜しかったような。もっと使えそうな気がしたのに。 七夕の織姫と彦星のように、一年に一度逢う、とかね。 それから茜の話をしていたときに、中禅寺の奥さんが入ってきた場面はドキっとした。奥さんがまた何も語らないのがいいね。 それから、榎木津が「神」すぎたのが気になった。もはや弱点ないんだもん。「過去が見える」という設定はいいけど、物語のあらすじや人の本質まで「読めちゃう」のはなー。解説はいらないよ、それは読者の役目だよ、って思っちゃう。アベちゃんじゃないけど・・・「演りすぎ」です(笑 敦子はちょっとブラコン入ってるね。「兄」という妖怪を落してやってよ京極堂(笑 この兄と妹の「家族の伝説」がどのようなものか非常に気になる。京極先生、ぜひ執筆願います。 そして疑問点がひとつ。 「空が四角く見える」「丸く見える」というのがよくわからなかった・・・ この前見た京都の庭と同じで、ひとつの事象が心境によってまったく変わって見えるということなのだろうか?(たぶんここ、重要なポイントだと思うんですけどねえ・・・う~~んーー;) 最後に。 今回も京極堂の例のキメ台詞が登場したのですが、今までの作品の中で、いちばん「やさしく」聞こえました。 「此の世に起こることがすべてでたらめだったら数学者はすることがなくなってしまう」といったのは中原欧介@「やまとなでしこ」。同じように京極堂は「此の世に起きていることは全て日常なのだから余計に怯えることはない。非日常(不思議なこと・・・それは堂島ちゃんの陰謀なのかも知れない)は黒衣の陰陽師が解体するから、大丈夫」と言っているように聞こえたからです。 「此の世に不思議なことなど何もないのです」 京極堂がいる限り! 【追 伸】 この日記はフィクションです(笑 そのとウリ!にならなくても突っ込まないでくださいね。 陰陽師の物語だもの、ここまでこだわって欲しい!という単なるhakapyonの願いですから・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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