「小栗忠順(おぐり・ただまさ)2」
「小栗忠順 1」のつづき
ワシントンでブキャナン大統領に謁見、批准書を渡し任務は完了しました。
しかし、小栗は大老・井伊直弼から重要な使命を任されていました。
為替レートの改正です。
開国以来、大量の「金」が日本から外国に流出していました。
そのため為替レートの改正が必要だったのです。
小栗はアメリカ人も驚くほどの毅然とした態度で貨幣の分析実験を要求
それまで極端に不公平だったドルと小判の交換比率を
是正することに成功します。
そのときの態度を見たアメリカ人が
小栗を「ノーといった最初の日本人」と評した
と伝えられています。
そしてニューヨークで大歓迎を受け、その後大西洋、インド洋を渡り帰国し
「公式に世界一周した初めての日本人」となるのです。
このときワシントン海軍工廠から「ネジ」を持ち帰ります。
この「ネジ」が日本の近代化の原点ではないでしょうか。
帰国後、外国奉行、勘定奉行などを歴任、さまざまな改革に取り組みます。
「鉄の国」アメリカを見てきた小栗が特にこだわったのは「製鉄所」の建設です。
小栗は、栗本鋤雲(じょうん)を通じて駐日フランス公使レオン・ロッシュに
繋がりを付け横須賀に「製鉄所=のちの造船所・海軍工廠」を建設することを
練り上げます。
そして中国にいたフランソワ・レオンス・ヴェルニーが呼び寄せられます。
幕府内ではそんなものを造ってもこの先幕府はどうなるか分からないと言った
反対意見が多かったようですが
「幕府の運命に限りがあるとも
日本の運命には限りがない」と切り返したとか・・
小栗は先の先を見ていたのでしょう・・
フランス語学校を設立したほか
新聞発行計画
郵便・電信事業
ガス灯設置、鉄道建設
火薬製造所、反射炉の建設
中央銀行の設立
日本最初の株式会社「兵庫商社」の設立
諸色会所(商工会議所の前身)の設立
など、さまざまなプランを打ち出します。
「小栗忠順 3」につづく