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テーマ:いじめ(337)
カテゴリ:心
お子さまの携帯電話所持が社会問題になろうとは、黒電話で毎週光GENJIの電リクをしていた私には想像だにできない事態です。
それにしても、子供に対してウン万の本体に加えランニングコスト万単位/月が前提とは、天を仰ぐばかりです。 子供の時分、はみんこ家ルールではお菓子は100円までだったのですが、どうしても200円のロッテアーモンドビッグバーがよくて、妹と仲良く分けるから買ってくれと母親に交渉してた昭和が実に懐かしいです。 額の違いは家庭の事情がありますから置いておくとして、ネット利用が可能な携帯を子供が所持するということに対しては、私も賛成できかねる一人です。 飲酒喫煙、パチンコ、R指定に倣う規制が必要ではありやしませんでしょうか。それでも違反する未成年が後を絶たないのは承知の上であっても、抑止力としては機能すると思われます。 兎にも角にも、まだ狭い人間関係しか体験していない子供を、広いネットの世界に野放しというのは危険極まりないです。 三輪車の運転すらおぼつかない子供をいきなりコックピットに座らせるようなもんです。 だいたい、大人でさえもインターネット黎明期からいろいろとやられているではありませんか。手を変え品を変えの詐欺やトラブルに巻き込まれているというのに、子供にそれを対処する力量があるとは思えません。 安全のため持たせているという理由も目にしますが、便利な面を差っぴいてもデメリットのほうが大きいでしょう。 防犯対策とは言えども、襲われてから電話する余裕なんかあったもんじゃござんせんし、それが目的なら、むしろ警察に自動通報されるスイッチを装備した「GPS+防犯ブザー」とか作ったほうがよほど役に立つと思います。 さまざまな規制は子供に意地悪をしたいが為ではなくて、きちんと規制するだけの理由があるからだと思われます。 それよりなにより、規制することでまず陰湿ないじめは確実に減るし、程度も軽減するでしょう。 加減の知らない子供に、世界中に無制限に言葉や画像を発信できる手段を与えてしまったら、そりゃおかしなことも起きるに決まってます。 十年をひと昔と言うならばこの物語の発端は今からふた昔も前のことになるわけですが、私が中学2年の時分、理不尽ないじめを受けました。 アナログいじめでさえもなかなかのものでしたよ。 中3の春、同学年のK田さんによる複数の子へのいじめが問題になり、果たして女子全員でミーティングが行われました。 私がターゲットにされてから1年以上経った頃のことです。 しかしながら「ご飯も喉を通らない」とすすり泣いて反省の色を見せたかと思われた直後に、入学祝に父に買ってもらった時計が体育の時間の後になくなってみたり、家に帰れば「お宅、どういうシステムになってるの?」という怪しいオッサンからの電話が後を絶たなくなってみたりもしました。 卒業アルバムに寄せ書きをしてもらったら、K田さんのクラスの子からだけ「ハミちゃんは話したら面白い人だったんだと初めて知りました!」「ハミちゃんはやさしい人だったんだね。」てなことを、まあ、書かれる書かれる。 K田さんがなにをしてらっさったか、想像に難くございません。 まー他にもいろいろとやられたわけですが、枚挙に暇がございません。文字制限超えちまいます。 このように、アナログのいじめですら1年半も多くの人たちに誹謗中傷をして回ることなど、いとも簡単なのです。 まだ自我もしっかり確立されていない子供の頃に、このような精神的負担を強いられれば、当然トラウマになります。 とうに三十路を超えた現在でも、いじめの報道を見ると未だに貧相な胸が尚いっそう締め付けられます。 理不尽な人格否定やいじめが作った心のしこりというものは、そう簡単とれるもんじゃありません。 ただ、時代がアナログであったからこそ、最悪の事態にまでならずに済んだのだと今では思います。 さて、いじめがピークだった88年7月、懸賞でしか手に入らない光GENJIの限定ビデオ「あ・き・す・と・ぜ・ね・こ」が当選した子がいました。 その子はやさしい性格で、独り占めすることなくグループ内で順番に回していました。 が、当たったわけでもないK田さんはもちろん私をハブります。 好きなメンバーが、佐藤敦啓(アツヒロ)とK田さんとかぶっていたのも気に入らなかったそうです。聞こえよがしに「○○ちゃーん、あきすとぜねこもう観た~?アツヒロ、マジいいよね~。」とか受け渡しをするわけです。 だんだん精神的に参ってきます。表向きないじめが解消された後も、当然「一応グループの仲は戻ったものの、本当はまだ私は嫌われているんじゃなかろうか。」と尚も不安は続きます。 そんな中、「あ・き・す・と・ぜ・ね・こ」当選者Iちゃんが、「はみんこ、まだこれ観てなかったよね。」と、私が頼んだわけでもないのにわざわざ持ってきて貸してくれたのです。 それでやっと分かったのです。つまり、いじめはみんなの意思じゃなくK田が強制参加させてたのであると。 友人たちだって「いじめなんてやめようよ」と謀反起こせば、新たなターゲットにされるだけですからね。それを撥ね返せるだけの精神力を中学生に求めるのも難しいでしょう。 しかしなんにせよ、こうして一応一件落着しました。 ところが、この惨状にネットを介したらどうなるか。 上記に加えて、いくらでも過激な言葉も書ける場と、誰でもそれを目にすることができる場が提供されます。 それを見た人が身元を明かさずに便乗することだって容易。匿名なだけに、子供ならば尚更目の前の面白さに負けて、躊躇する良心だって揺らぐかもしれません。 つまり、「あ・き・す・と・ぜ・ね・こ」的円満解決を阻む原因ともなりかねないのです。 滝川高校の一件は、最後に親友と見られていた生徒の裏切りが引き金になったのでは?とも言われているくらいですからね。 そして性質の悪いことに、その後いじめ張本人が事の重大さに気づいたとしても、時すでに遅しで、垂れ流した罵詈雑言はウェブ上を一人歩きしとても収集できる状況ではありません。 こうして見ると、恐ろしいほど頻繁になったいじめを苦にした自殺報道の多さも、なるべくしてなったとしか思えません。 三輪車に乗れない子供をコックピットに座らせるなどという生やさしいものではなく、子供に拳銃を握らせるぐらい危険なことかも知れません。 今日も北九州・女子高生自殺 父親、遺書とブログ公開 「死ね」と書き込み 侮辱容疑、同級生告訴へというような記事がありましたし。 仮に国民が銃を持っていれば保身に役立つ例もゼロではないでしょうが、それ以上にどんなことが起こりうるかなど推して知るべしです。 ネット利用可能な携帯を子供が持つことを”野放し”にしておくのは、それに近いものがあると私は思います。 いじめの反動なのか、今ではすっかり佐藤アツヒロさんと対極である薄顔好みになっちまいました。 まあ既にオバハンが故ということもあるのでしょうが、ここ最近は本当に昭和が懐かしいです。 とにかく、アナログで人と向き合うことが軽視されたり敬遠される世の中は、恐ろしいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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