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野の花も日々あれこれ考える

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2006年09月15日
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長男が生まれてしばらくした頃、父の脳梗塞が起きた。
検査の結果、それははじめての発作ではなく、脳には小さな脳梗塞の跡がたくさんあったと分かった。

それでも、父は商売を続けていた。
その頃、祖父が始めた「まちのちいさな八百屋」は父と母の努力によって「上にマンションのついたちょっとしたスーパー」になっていたのだ。
ここまでやってきたものを、簡単にやめるわけにはいかなかったのだ。

しかし私が実家に遊びに帰っていたある日の夜中、父は突然の激しい腹痛に倒れた。
母と私で救急車を呼び、そのまま入院となった。
胆石だった。

様々な検査を経て数日後、手術が行われた。
30分くらいで終わると聞かされていたその手術は、2時間経っても3時間経っても終わる様子がなく、結局7時間半の大手術となった。
父の内臓は知らない間に糖尿病に侵されていて、全ての臓器がむくみ、血管が弱り、少し触れただけでも大出血を起こす状態だったのだ。
しかも胆嚢はあるべき場所になかった。
小さい頃、盲腸が癒着したことがあり、その影響で内臓が正しい場所になかったらしい。

ようやく手術が終わってICUにいる父は、麻酔で朦朧としていた。
とにかくなにか声をかけなければと思うが、胸が詰まって言葉が出なかった。
「お父ちゃん、よう頑張ったな。」とだけ言うのが精一杯だった。

後で母から聞いた話だが、父は朦朧とした中で私の声を聞いたらしく、私たちが帰った後で、私に似ている看護士さんを見つけ、何度も「ののはな、ののはな」と呼びかけたらしい。
しかし、まだ麻酔もさめておらず、酸素マスクもつけた状態で、しかも術後の小さな声は看護士さんに聞こえるわけもなく、「あの時、『またののはなは俺に反抗しやがって、返事もしよらへん』と思ったんや。」と退院した後に母に話していたという。
その頃、もう子供もいた私は父に反抗などしていなかったから、おそらく若いころのイメージが脳裏に浮かんでいたのだろうと思う。
父は父で、うまくコミュニケーションを取れなかった時代を悔やんでいたのかもしれないと思う。


その後、両親は商売をあきらめ、母と二人三脚での闘病生活が始まった。
脳梗塞による言語障害を克服し、糖尿病を悪化させないための食事療法やダイエットの日々。
しかし、父の性格は、明らかに怒りっぽくなっていった。
突然、理不尽なことで怒鳴り始める父と、またケンカをする日々が始まった。
父が心配で、小さな子供を連れてできるだけ帰るようにしているのに、急に「帰れ!」と怒鳴られて帰らなければならないこともあった。

(3へつづく)





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Last updated  2006年09月15日 21時37分21秒
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