怖くなる
今日も風呂上りにママちゃんと訓練。でも今夜は用事が有るので、子供は実家でお泊りだから準備なんかで忙しいから軽い内容。ろく木はやめて腕肩を休めて、その代り寝返りで体幹強化と吊り下げ訓練で脚を動かす。こんな日、あまり訓練出来ない日、自分の気持ちが緩んでいるのではないかと思って怖くなる。以前は隙があれば訓練していたと思う。でも今はそうでは無い。もちろん訓練したい気持ちは強いが、こらえて家庭のために費やす時間を増やしてきた。そう方向転換して半年以上過ぎた。 早急に何としても回復しなくてはならない理由と、それしか見えていない自分の姿があったのだと思う。でも色々と考え相談し、何が最善策なのか何度も考えた。結果として、訓練しかない生活から個人の時間を尊重する方向へと変換した。それによって暇な時間が増えた。暇な時間が増えたと聞けば、係わってくれている人に良い印象を与えないと思う。でも、暇だった。とは言え時間単位で間が空くわけではなく、分単位の間があり、それを以前はまとめこんで訓練に当てていた感じ。それをやめただけ。待ち時間が多くなったって感じ。何かしようにも段取りすることが自分で出来ないから、待つか考え事しか出来ない。そんな合間には考えていた。どうすれば両立できる方法が見付かるのか。元々ストレスには強いほうだったと言える身体だったが、今思えば人間ドックで引っかかる位のストレスになっていたんだろう。両立するにはひとりで時間を上手く使いやるしかない。準備の介助が無い事が最も良いとは思うが、この身体そんなに簡単じゃない。でも、出来るだけ準備を少なく簡単に、そして効果が高く、満足感が高い事を考えてきた。 思い浮かんだ事が全て実行出来ている所まではいっていない。でもそうやって数ヶ月も考え行動してきた成果が、徐々に良い方向へ進んでいるのは確かな事の様に感じている。それは自分の身体であり、家族でもあると感じている。そのぶん悩む時間が減っているのは良い事だと思うけど、そのパターンに慣れてきて物足りなく思ってしまうときもある。余裕が出てきて物足りないなら、レベルが上がって次のステップアップのタイミングだろう。でも余裕が有ることを、勘違いして自分自身が受け止めていたら怖い。十分やってそれでも余裕が有るわけでも無いのに、普段の状況からこの程度で足りているなどと錯覚していたら怖い。脳も身体も休憩が必要で、それが上手くできないから昔から多くの人によく注意されてきた事を思い出す。休むからこそ伸びる。それをもっと学ばないといけないと思う。自分自身の身体をもっと良く知り、精神をコントロール出来る様にならなくてはならないと思う。