小5の男の子のT君。
目がクリッとしてまつげの長い、可愛い男の子だ。
国語の時間に、
「七夕でお願いしたいこと」
で作文を書かせてみた。
T君が書いた作文は、こんな感じだった。
「ぼくは、『成績が上がりますように』とお願いしたいです。
なぜなら、成績が上がったら、お母さんにほめられるからです。
最近は、お母さんにほめられていません。怒られるばかりします。
それは、ぼくがお母さんの手伝いをしないからです。
だから、成績を上げて、お母さんにほめられたいと思います。」
「・・・そっか・・・。でも、これだったら、
『成績を上げたい』っていうよりは、『お母さんに褒められたい』ってことがお願いなんじゃない?」
「ははは。(笑)そうですね。」
(消しゴムで作文を消そうとする)
「ああ、消さんでもいいって! 作文のときは、消しゴムを使ったらダメ。消したところのアイデアも後で使えるかもしれないから、消すときは線で消したら良いよ。清書は、一番最後にすれば良いし。」
「はい。」
「まぁ、『お母さんに褒められたい』って言ってても、ボーっとしててもお母さんに褒められないからね。(笑)
でも、お手伝いすれば褒められるのなら、何でお手伝いしないの?」
「・・・だって、メンドクサイから・・・」
「ん? 何でメンドクサイの? だって、それをしたら、お母さんに褒められるんでしょ?」
「ちゃんとやったら褒められるけど、なんか、ちょっと出来てなかったら、怒られる。」
「そっか。
それで、同じ怒られるんなら、しない方が良いわって思っているんじゃろ?」
「・・・うん。」
「なるほどねぇ。
でも、そしたら、お母さんにちゃんとやり方を聞いてからしたら良いんじゃないの?」
「でも、『ちゃんとやっとき』って言うだけで、ちゃんと教えてくれんし・・・。」
「そうなん。まぁ、あんまり聞いたら、『うるさい』って言われるんかな?」
「・・・。そこまで聞いたことがないから、分からんけど、言うかも知れん・・・。」
「そっか。でも、言わないかも知れんよな?
ちょっと勇気が要るかも知れんけど、聞いてみたら?
案外、聞いたら教えてくれるかも知れんよ。
な?」
「うん・・・」
子どもでも、親の立ち振る舞いを見ながら、気を遣っているのだろう。
優しい子ほど、親に気を遣うのだと思う。
でも、その「加減」が分からないから、いつか「自分の存在価値」そのものが、親の賞賛になってくる。
共依存になってくるのだ。
無条件の愛
母性愛
父性愛
そんなものがクローズアップされる。
与えたくて与える愛。
見返りなど期待しない愛。
自分と他人を切り離さない愛。
この親子にも、大霊の光が燦燦と降り注ぎますように。