カテゴリ:カテゴリ未分類
先日はこちら岡山で、悲しい事件が起こりました。
謹んで、お亡くなりになった方へのご冥福をお祈りしたいと思います。 無論、被害に遭われた方のご家族、親戚の方々、知人、友人、会社の方々等の全員がそれぞれに痛みを覚えておられるのだと思いますが、加害者とされている方のご家族、その周りの方々も、きっと同じくらい胸が張り裂けそうな痛みをお感じになっておられるのだと思います。 皆さまが少しでも癒されますよう、祈りたいと思います。 それにしても 「人を殺さなければ、自分が癒されないと感じるほどの痛み」は、 それを「実行に移す」までに、誰かが理解してあげられなかったのだろうかと、悔やまれます。 英語で「理解する」は「understand」です。 これは文字通り「under(下に)」「stand(立つ)」という意味です。 相手よりも「下」に立つことで、気持ちも上から下に流れていくものなのでしょう。 1人で受けきれない気持ちは、何人かで受け止めていけば良いと思います。 「人を殺めることでしか、社会とつながっていると実感できない孤独」は、ゲームを代表とするサブカルチャーが抜本的な問題ではないと思います。 「物質的な豊かさ」=「便利」=「役に立つ」=「良い」という非常に短絡的な判断基準を基調としている社会全体の問題であると、私は考えます。 以上は、「Tフラッツ」のコメントにボクが書いた文章。 先日も、色々な人と、この事件のことについて話をした。 一部の新聞には、「自暴自棄」なんて言葉を載せていたが、 あの「行為」は、「自暴自棄」になる前の、最後の悲鳴だったに違いない。 彼の心は、何度も撲殺されていたのだ。 「貧乏」を「悪いこと」のように思わせる環境に代表される 彼の周囲に。 そうじゃない。 「環境」は、「料理」の素材の1つにすぎないのだ。 要は、それを「どう活かすか」なのだ。 スピリチュアルな視点でみれば、それすらも折角自分で選んできているのに、 なぜ、自分で選んだものを否定する必要はなかったのだ。 でも、遠回りにはなるけれど、彼もいつかは気づくに違いない。 そう信じている。 昨今は、「スピリチュアル」の言葉も目にすることが多いが、 単なる「占い」とか、「縁起かつぎ」のように理解してる人も多い。 人の本質が「スピリット=霊」であることを理解することが大切だと思う。 そこを基調としていないスピリチュアルは、気をつけないといけないと思うのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|