今日、体験授業に来てくれた小5、小6の姉妹。
お姉ちゃんはチャキチャキした感じ。
妹さんは、おっとりした感じ。
本当に、年子の姉妹なのに、こうも違うのかと思うような姉妹。(笑)
とにかく、お姉ちゃんは小6のどんぐり問題も
計算式でドンドン解いていく。
そのときは、体験だったので、
学力診断用としてのプリントしか準備できていなかったけど、
こんなときのために、図を描かないと解けない問題を準備しておくべきだった。
でも、小6用の問題で、CDを飛ばす問題ができていなかった。
「図に描いてみたらどうかな?」
「描いてみた。」
線分図だ。
「もう少し、工夫してみる?」
「わからん。意味解らんし。」
う~ん。取り付く島もない。
とにかく、自分の解ける問題はやるけれど、
3分以上考えても解けない問題は、簡単にあきらめてしまう。
「こっから『考える』」という状態に入る手前で、あきらめている感じだ。
本当に、もったいないのだ。
つまり、「答え」ばかりに縛られて、「考える」ということを楽しめない。
楽しむことができないのだ。
勉強が作業になってしまっている。
これは大げさではなく、
こういう子は生きることが作業になってしまう傾向にあるのだ。
妹さんは、いわゆるジックリ派の子。
でも、どんぐり問題をさせていると、ときどき
「あっ!」
と、とてもいい表情をして、気づいてくれる。
そう、目で見て閃くのだ。
それが、この時期の子どもたちの、一番の宝物だろう。
じっくりと、時間を気にせずに考えられること。
これは、そのまま人生を楽しむことに繋がっていく。
体験授業後に、お姉ちゃんと少し話をした。
「あのね、
勉強って、答えを速く出すこと、じゃないんだよ。
今まで、そうやって勉強してきたのかもしれないけど、
それは、本当の勉強じゃないんだよ。
本当の勉強って、答えを出す過程を楽しむこと。
それ以外にないんだ。
今は信じられないかもしれないけどね。」
少しダルそうに聞いていた。
う~ん。
色々と、考えられることはある。
妹さんと一緒にきたことで、このお姉ちゃんは、
個人としてではなく、
「お姉ちゃん」
をここでも演じなければならない状況だったのか。
であれば、一人で授業を受けてもらう方が、
心を開いて、自分の弱点と向き合えたのかもしれない。
今まで、「デキル」と言われた子ほど、
変な「プライド」が邪魔をして、素直になれない。
それは、ボクが小さい頃もそうだったから、本当によく解るのだ。
でも、それを乗り越えない限り、
その穴から自分で出てこない限り、
自己の成長というものは、ありえないのだ。
だから、大きな愛で見守るしかない。
だから、そのお母さんにもこうお伝えした。
「今、お姉ちゃんには塾は必要ないと思います。
でも、困ったことがあったら、いつでも相談に乗りますから、
遠慮せずに、来させて下さいね。」
とりあえず、妹さんは入塾されるようだ。
それはそれでありがたいけど、
心のサポーターを必要としてるのは、むしろお姉ちゃんの方だろう。
しかし、それは無理強いするものではない。
心が乾いて、渇望するまで、手出しはできない。
そういう苦しみもあるのだ。
今日も、一日、心を込めてお勤めさせていただきました。
「ありがとうございます。」