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カテゴリ:趣味・旅行・買い物
![]() 道後温泉駅から電車に乗って「大街道」駅へ。 ![]() 駅前には坊ちゃん列車が。 これは展示物かと思いきや、この列車が時間になると 走っているということをこの時知り、びっくり。 確かに展示されているところからいなくなっている 時があった。 ![]() 駅から徒歩5分くらいで松山城ロープウェイの乗り場に到着。 ポンジュースの蛇口が! 料金は大人往復510円。この日はリフトがお休みだったので ロープウェイで向かいました。 松山城は別称「金亀城」と呼ばれています。 名前の由来について看板に書かれていたのでそのまま転記。 お城は、標高132メートルの山(勝山)の上にあり、 勝山城または金亀城とも呼ばれています。 松山城築の際、山麓の内堀(愛媛県庁西側)の処が、 深い淵になっていて、そこに「金色の亀」が棲んでいたと いわれています。その伝承にちなんで、別名「金亀城」と 呼ばれるようになりました。 ![]() 大手門跡より松山城天守を眺める ロープウェイを降りるとなかなかの坂道が待っています。 ![]() 戸無門(重要文化財) この門は、本丸の大手入口の最初に現存する高麗門。 登城道U字屈折の終点に位置します。 昔から門扉がないので戸無門と呼ばれ、 鏡柱にも扉を取り付けた痕跡がありません。 ![]() 筒井門 この門は築城の際、正木城から移建されたと伝えられる 松山城最大の門です。三之丸・二之丸から本丸へ向かう、 大手(正面)の固めを構成する重要な櫓門で、 城中で最も重要かつ堅固な所となっています。 ![]() 隠門(重要文化財) この門は筒井門の奥の石垣の陰に隠された、 ※埋門(うずみもん)形式の櫓門で、 戸無門から筒井門に迫る敵の背後を急襲する構えとなっています。 脇戸を持たず、扉の横板張りの中に潜戸(くぐりど)を仕組むなど規模は小さいですが、豪放な構えで、続櫓外部の下見板張りや 格子窓形式の突揚げ戸などとともに、 築城当時の面影を見ることができます。 ※埋門(うずみもん):土塁、塀、石垣などの下部を くり抜いたようにして造られている門。 ![]() 太鼓門 本丸大手の正門と位置づけられている脇戸付の櫓門で、 巽櫓や太鼓櫓とともに防衛線を構築しており、隠門や 筒井門とその続櫓による第1の防衛線に続く第2の 防衛線となっています。 天守には頑丈な「望楼型」と低コストの「層塔型」が あり、松山城は層塔型です。 「層塔型」天守は、関ヶ原の戦い後に登場した形で、 築城名人の藤堂高虎(とうどうたかとら)が考案したもの。 第一層から同じ形の建物を規則的に小さくしながら積み上げて いくので、望楼型に比べてスッキリとしたシルエットになります。 また工期が短縮できる上に建築コストが抑えられるため、 短期間で多数の城を築くことが求められた慶長の築城ラッシュで 一気に全国に広まったそうです。 ![]() 天守(重要文化財)と小天守 天守は三重三階地下一階の層塔型天守で、 黒船来航の翌年落成した江戸時代最後の完全な城郭建築です。 また、「現存12天守」の中で、唯一、築城主として瓦には 葵の御紋が付されています。 天守、小天守、隅櫓を渡櫓で互いに結び、 武備に徹したこの天守建造物群は、わが国の代表的な 連立式天守を備えた城郭といわれています。 天守の全高は、本壇から20m(しゃちほこの高さを入れると21.3m)。本壇は本丸から8.3mの高さがあり、本丸の標高は約132mであることから、天守の標高は約161mあることになります。これは「現存12天守」の平山城の中では最も高い城郭です。山の高さは、同じ平山城である姫路城の約3倍の高さです。(松山城HPより) ![]() 井戸 南北2つの峰を埋め立てて本丸の敷地を作った際、 谷底にあった泉を井戸として残したといい伝えられています。 井戸の直径2m深さ44.2mで当時の技術では、 通常、掘ることができない深さがあります。 ![]() 馬具櫓 本丸広場の西側にある二重櫓で、太鼓櫓とともに 二之丸方面の監視・防衛を担う櫓です。 この櫓は、明治43年(1910年)に「松山公園」として 開園される直前、管理人用寝泊所として改装されました。 昭和10年(1935年)国宝に指定されましたが、 同20年(1945年)7月に戦災で焼失したため、同33年(1985年) 3月に本丸の防災ポンプ操作室として鉄筋コンクリート造で 再建されました。木造以外の工法で再建された城内唯一の 建物で、現在は、本丸の防災を含む管理事務所となっています。 再建には、西側石垣(高さ約13m)に荷重を与えないように するため、建物直下にケーソン※工法の基礎3個が用いられています。 この工事中、ケーソン基礎2個の最深部(深さ約4.7~5.9m)で 現在の石垣とは別の石積みが発見されました。 これは、まだ知られていない松山城の歴史を示すものかもしれません。 ※ケーソンとは、防波堤などの水中構造物として使用され、あるいは地下構造物を構築する際に用いられるコンクリート製又は鋼製の大型の箱のことである。(Wikipediaより) ![]() 乾門東続櫓 乾門の東側に設けられた平櫓で、乾門とあわせて、 搦手(からめて)の防備を担っています。 ![]() 野原櫓(重要文化財) ~日本で唯一現存する望楼型二重櫓~ 野原櫓は乾櫓とともに本丸西北を防備するとともに、 その東にあった小筒櫓(跡)と本丸の北側を防衛する重要な櫓であり、 日本で唯一現存する望楼型二重櫓で、天守の原型といわれています。 野原櫓(騎馬櫓)は、1階の天井の梁(はり)を通じて 2階を支える構造となっています。 これは「現存12天守」の犬山城と同じ初期の望楼型(ぼうろうがた) と言われる建築手法です。 黒船来航の翌年に再建落成された松山城の天守は、 層塔型(そうとうがた)といわれる天守台(柱を受ける土台)の 精度が要求される建築技術となっており、 城郭の作事(建築)の技法が進化していく過程を 本物で見ることができるのも松山城の魅力です。 ![]() 艮門(うしとらもん)東続櫓 艮門と同東続櫓は、本丸の北東(艮方向)に配置された 脇戸付の櫓門と二重櫓で、城の東側の防衛を担っています。 また、ここから出撃し、大手や搦手(からめて)に迫った 寄手(よりて)の背後を急襲するという役割も担っていたと 考えられます。 ![]() ここはNHKスペシャルドラマ 「坂の上の雲」撮影スポットだったようです。 看板が設置されていました。 ![]() ロープウェイに乗り松山城を後にしました。 思っていたより結構歩きました。 そして中国人・韓国人の観光客がやたら多くて微妙でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.08.04 18:35:06
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