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カテゴリ:本のはなし
何故か。現在の時には、「自分」がいるからに他ならない。世界がどうであれ、本当の自分、本当の人間としての自分がいる限り、「今」に世界は入り込めない。どんなに世界が強力であろうと、自分がいる限り今を世界はどうすることもできない。己がしっかりと存在していれば、欲望渦巻くこの世界は、過去と未来に分断された死んだ時となり、己に触れることはできなくなる。
ひとりの人間の心とは、かくも尊くまた強い。反対に言うと、人間が迷うときは、世界の方にふり廻され、世界が今の自分の心の中に入り込んでいることになる。人間にとっては、世界が如何に強大であろうと、「己の今」には全く入り込めない。そして己が今を現出するなら、その今は過去と未来の総合力となる。つまり己の今が、死んだはずの過去と未来を生き返らせるのだ。だから今を創り出している人間には、欲望の世界であるはずの世界も、また美しいものと映る。ただ己が無く、世界の方ばかりしか見ない人間には、現在という時の無い、分断された過去と未来の汚れた世界しか見えない。この汚れた世界に、己が入り込むことによって真に美しい世界が現出するのである。 (執行草舟 「友よ」より) 途中の引用なのでわかりにくいですが、 なんだかぐっときてしまいました(´;ω;`) T・S・エリオットの「四つの四重奏(原題:Four Quarters)」によせられたものです。 ↑詩のほうはあんまりよくわからなかった ( ̄∇ ̄*)>テヘヘ♪ 過去があって 現在があって 未来があって… 自らというものをはなれて 時はまるで整然と 直線上につながっているように 漠然ととらえてるけれど。 それは ほんとうはただの錯覚でしかないような どこかで 「時」というものの本質と大きく乖離しているような なんだかそんな気がしています。 「時を止めるのが、人間と言えよう。時を遡るのが、人間ではないのか。時を翔ぶのが、時の支配を受けぬのが、人間と呼ばれるものであろう。真の人間とは、時を操る魔術師ではないかと私は思っている」 そう著者は結んでいます .*:・'゜☆。.:*:・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 20, 2011 09:11:37 AM
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