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カテゴリ:日記:アメリカ
"I am going to enjoy my life the way I want." -- Noriko in my early twenties 今日の教会のメッセージで 忘れていた自分を思い出した。 メッセージの始めに映画クリップを見た。 『放蕩』というタイトルのものだった。 その中で敬虔なクリスチャンの父と 若い息子が出て来る。彼は、父から離れ クラブへと足を運ぶ。お酒に溺れ お酒に酔って震え、かがみ込む。 クラブで女性に近づき、体を寄せ合って踊る。 「はいはい、よくあるメッセージね!」 と思っていたら、あるシーンが心に帰ってきた。 忘れていた、自分の姿だった。 キンクイ(King & Queen)、ジュリアナ東京、 そして、クラブの数々。そして、朝まで。。。 私はよく夜の街に足を運んでいました。 人生を楽しむために。。。 でも実は。。。 心の穴を埋めるためでした。 主の恵みにより、一線を越えることはしなかった。 でも、私の夜遊びは続いた。 ある日、死ぬほどむなしい夜があった。 男の子はチヤホヤしてくる。 それにも飽きた。 音楽ガンガン、テーブルに並んだお酒。。。 私は一人席を立ち、クラブの一番奥の暗い壁に 一人肩をつけてもたれかけた。 そして、泣いた。 「私、なにしてるんだろ。。。」 耐えられないほどのむなしさと寂しさ。 自分を支えられないほどだった。 すると、 大きくて柔らかな手が私の頭をそっとなでた。 その瞬間、それだけで、心がなぐさめられた。 「どうして私のこと知ってるの? 大丈夫だよって言ってくれてる。 こんな男の人がクラブにもいるんだ。。。」 どんな人か知りたくて、一瞬のうちに涙を拭き、 期待いっぱいに振り返った。 すると、そこには誰もいなかった。 誰かがいた形跡もなかった。 そこには、私しかいなかった。 神様なんて信じなくなってた頃。 ジーザスの存在も忘れてた頃。 でもあの手は、 ジーザスとしか考えられなかった。 26歳までそんな夜遊びを繰り返し、 アメリカに来て、本当にジーザスに出会い。 光を歩んでいたから忘れていた あの頃の自分。 映画のクリップを見て 酔って震えて苦しむ彼を見て まさか自分を思い出すとは。。。 そして今になってやっと気付いた。 私が闇を歩いていた時も イエス様はずっと一緒にいてくれたんだなって。 私が神を捨てても、 イエス様は私を捨てなかった。 その事を思って、また泣いた。 God has pursued me, this broken sinner....... Thank you, Jesus. あなたがたは自分の罪過と罪の中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。 私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、ーーあなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのですーーキリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。 続きはエペソ人への手紙2章をお読みください♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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