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カテゴリ:神様のこと 聖書のこと
人生、生きていたら納得のいかないことがたくさん起こります。そして、「神様、どうしてですか」と主にしがみつく。そして、そんな時に限って、何も聞こえない。何も感じない。「どうして私をお見捨てになったのですか」とダビデのように叫びたくなるようなこと、あります。人生を絶望視してしまう。 クリスチャンになったからといって、順風満帆な人生を送れるということではありません。 神の御心であったヨハネ。キリストの道を整え準備する者としてこの世に送られましたが、首を切られて死にました。神の御心であったキリストも、数多くの苦しみに会われ、殺されました。キリストの弟子達も殉死。「キリストを信じたら幸せになれるよ!」というのは、どこから来たアイデアなのでしょうか。神の御心を生きる=ハッピー・ライフではありません。 私たちのゴールは、この世でしあわせになることではなく、主に栄光を帰して、主を楽しむこと。主を賛美すること。主にあって喜ぶこと。すべての祝福の源である主に感謝すること。そして、私たちはこの世では異邦人で、天国への旅の途中であるということ。ゴールはここにはないのです。 風によって右へ左へと揺れる木のように心がざわめく時。心が騒がしい時。そんな時、あります。神様を信じているものにも、あります。疑う時も、あります。どうして?理解できない。。。と混乱する時も、あります。きっと、旧約聖書に出てくるヨブは、そんな心を理解してくれるでしょう。 神は、サタンがヨブをふるいにかけることをおゆるしになられました。しかし、ヨブにはどうしてこうも不幸が自分にふりかかるのか、理解することがまったくできなかったし、理由など見えませんでした。「自分が何か悪いことをしたのだろうか」そう考えるのが普通ですが、ヨブは何も悪いことをしていませんでした。ただ神が、ヨブをふるいにかけることをおゆるしになられたのです。 家族を失い、富を失い、健康をも失い、友達からの尊敬も失ったとき、彼はどう反応したでしょうか。 私たちがヨブから学べることは、ヨブはそれでも神様を賛美したということです。それは、ヨブが自分の苦しい辛い感情を超えて、信仰によって動いたことによります。すべてのことに感謝しなさいと新約聖書にあります。それも、信仰によるのです。 ヨブは、サタンと神様との会話をまったく知りませんでした。だから、ヨブはどうしてあそこまで苦しまなければならなかったのか、知る余地がありませんでした。まったくもって謎、不思議でした。 人生には分からないことがいっぱいあります。解決でき、納得できることの方がはるかに少ないかもしれません。それを教えてくれるのが旧約聖書にあるヨブ記です。私たちは納得できる「説明」によって生きるのではなく、神が与えてくださる不動なる約束を信じて、信仰によって生きるのです。 最後の最後まで、神様はヨブに彼の苦難の理由を明らかにしませんでした。しかし、神が明らかにされたことは、神はすべての創造主であり、すべてをつかさどる主であること。そして、神は十分である、ということです。 神と生きることがすべてであり、十分である。それがヨブが学んだレッスンでもありました。神のみで、満足する。 ヨブ 42:1-5 ヨブは主に答えて言った。あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。 知識もなくて、摂理をおおい隠した者は、だれでしょう。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。 どうか聞いてください。私が申し上げます。私はあなたにお尋ねします。私にお示しください。 私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。 それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます。 「私は神様を必要としています。」 そう語る人は多いでしょう。でも、どれだけの人が言うでしょうか。「主だけで十分です」と。 You may not know God is enough until God is all you have. 伴侶や、子供、富、健康、財産、名声、友達。それらももちろん主からの祝福ではありますが、一時的な満たしでしかない。もしくは、それらにがっかりさせられる時が来ます。そして、またそれらによって満たされず、木がざわめくように心がざわめくから、スケジュール帳をぎっしり埋めて、忙しくする。気を紛らすために。だけどそれも、またスケジュールの隙間が出来れば、心はざわめき、不安になる。その繰り返し。 ヨブが学んだ究極のレッスン。それは、神が彼のすべてであるということ。God reduced Job down to nothing and no one, and he learned that God is sufficient. どうして自分が苦しんでいるのか分からない。That's okay.私も分からないことがたくさんあります。だけど分かること。やりたいこと。それは、神が私のすべてであるということ。その信仰にまで、ゆっくりと成長していきたい。 そのレッスンをヨブが学んだ時、ヨブは再び祝福されました。神がすべてになると、人や富などに「依存」しなくなる。神のみに「依存」する。すると、祝福を本当の意味で楽しむことが出来る。これは、人の努力では不可能です。神の御霊がヨブに働かれてやっとヨブが悟ることが出来たように、私たちも同じです。御霊が私たちを満たし、そのような悟りを主から与えられてはじめて、そう悟ることが出来ると思います。主がそのことを私たち一人一人に教えてくださいますように。We need to be FILLED by the Holy Spirit to know and trust that God is sufficient and that God is all we need! Saturate us, Jesus!!! ヨブが悔い改めた後。。。 ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元どおりにし、さらに主はヨブの所有物をすべて二倍に増された。こうして彼のすべての兄弟、すべての姉妹、それに以前のすべての知人は、彼のところに来て、彼の家で彼とともに食事をした。そして彼をいたわり、主が彼の上にもたらしたすべてのわざわいについて、彼を慰めた。彼らはめいめい一ケシタと金の輪一つずつを彼に与えた。 主はヨブの前の半生よりあとの半生をもっと祝福された。それで彼は羊一万四千頭、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭を持つことになった。また、息子七人、娘三人を持った。 彼はその第一の娘をエミマ、第二の娘をケツィア、第三の娘をケレン・ハプクと名づけた。 ヨブの娘たちほど美しい女はこの国のどこにもいなかった。彼らの父は、彼女たちにも、その兄弟たちの間に相続地を与えた。 この後ヨブは百四十年生き、自分の子と、その子の子たちを四代目まで見た。 こうしてヨブは老年を迎え、長寿を全うして死んだ。 旧約聖書 ヨブ記 42:10-17 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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