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2009.03.03
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「私、無信仰です。」
「私、神様とか信じないんです。」
「私、宗教とかそういうの嫌なんです。」


私はそのように言って、育って
大人になりました。


そして、大人になってからクリスチャンになって
アメリカで9年住んで、
クリスチャンとして日本に里帰りをするようになりました。


すると、「宗教はちょっと。。。」
って言う人が多い割には
日本は確実に宗教国家だなと実感する。


お守りは信仰のひとつ。
今回里帰りしてびっくりしたのが、
地蔵の多さと、初詣。


あんなにたくさんの人が
あんなに寒い中、お賽銭を投げて
手をあわせに行く。


宮に入る前には手を清める。
お線香の煙で身を清める。
お守りは神様が喧嘩するので
二つ近づけて持たない。
おふだも、向かい合わせに貼らない。


いろんなルールがある。


いろんなこと、してる。


聖書に出てくるユダヤ人も
いろんなことを「して」いました。


食事前に手を洗う儀式
宮に入る前の儀式
あの儀式、この儀式。。。


自分の行いで自分を清めようとしていた。
自分の行いで救いを得られると思っていた。


「行い」さえやっていれば
自分は大丈夫という安心感を超えて
「自分はこれだけやってるんだ」
と自分を誇って、プライドでいっぱいでした。


自分の頑張りや努力で
律法や儀式を守ることによって
救いを得よう、
いや、得ていると信じていたのです。


そんな風に育って大人になった彼らが
イエス・キリストにこんな質問をしました。


「私たちは、神のわざを行なうために、
 何をすべきでしょうか。」

新約聖書 ヨハネの福音書 6:28



ここの「神のわざ」は、
原語のギリシャ語では複数形です。


清めの儀式やら、さまざまなことをやってきましたが、
神の求められる究極の業とは
いったい何をすることでしょうか?
とイエス様に聞いているのです。


「あれをしなさい。これをしなさい。」


というイエス様の儀式的なご指示を
待っていたのかもしれません。
いや、「よくいろいろな行いができている。
救いにつながる今の行いを続けなさい。」
と言われることを
期待していたのかもしれません。


ですが、イエス様はこう答えました。


「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、
 それが神のわざです。」

ヨハネの福音書 6:29



業、行いではなく、
神が遣わした者、すなわち、
イエスキリストを信じることが
神の求められるわざであると教えています。


行い、、、
あれやって、これやって、、、
ではなくて?


複数の業ではなく、ただ一つ。
信じること。
イエスを信じること。


ここでキリストは
彼らの生まれ育ってきた伝統
メンタリティーを正そうとしています。


事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。

行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。

エペソ人への手紙 2:8-9



大事なのは、行いではなく、
救いは神様からのギフトであるということです。


救いは自分の行いで稼ぎ得るものではなく、
神様から一方的に注がれる恵みによる
プレゼントなのです。


救いを得られるような行いは
人にはできないのです。
どれだけやれば、十分?という問いもあります。


私たちには、
神の怒りをなだめるような行いは出来ないから
神はキリストをこの世に送ってくださり、
私たちの行えなかった
すべての行いを成し遂げてくださり、
神の怒りをすべて十字架の上で背負って
私たちの身代わりとなって死んでくださったのです。


だから、キリストを信じるものは、
キリストのその義(神の前で正しいとされること)と、
罪の赦し、神様との和解をいただくことができるのです。


よって、自分の行いではなく、
私たちのために罪なく完璧な生涯を送られた
そして、咎をすべて十字架の上で引き受けてくださった
そのキリストを信じることによって
キリストの義をいただくことができるのです。


自分の行いではなく、
キリストを信じることで、みな救われるのです。


パウロは必死になってそのことを教えています。


律法によってはだれも神の御前で義とされないことは、明らかです。なぜなら、「正しい者は信仰によって生きる」からです。

ガラテヤ 3:11



行いによって清められよう、
正しい者とされようとしていたパウロは
こうも語っています。


けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。

ガラテヤ 2:16



続きは、罪と罰救いをご覧ください。






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Last updated  2009.03.03 13:11:37
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