|
カテゴリ:カテゴリ未分類
神戸の震災を体験したとき
「復興」という言葉をよく耳にした。
大好きだった美しい神戸の街が
一瞬にして崩れ落ちた。
そこから復興には時間を要したが
今ではまた美しい神戸の街が戻ってきた。
古かったビルがなくなり、
復興が進むにつれて
新しいビルがどんどん建ったので
街は以前以上に美しくなった。
神様は、
私たちの人生も復興してくださる。
過去がどれだけ汚れていようとである。
どれだけ罪深いことをしてしまった場合にでもである。
失敗して、挫折して、
不幸で仕方がないと感じる者にもである。
神様は、人生に復興をもたらすことのできる
唯一のお方である。
主がともにいれば
「もうこれでおしまいだ。」はないのだ。
どんな場合にでも、希望と未来がある。
それは、神戸の復興と同じように
一瞬にしては起こらない。
プロセスである。
時には遅すぎると感じるくらい
ゆっくりなプロセス。
目には復興しているようには見えない。
現状は、まだ焼け野原。
しかし、
聖書の神を信じる者の人生は
復興がやってくる。
イエスさまは、私たち「罪人」をあがなうために
この世に生まれたからだ。
罪人を救い、赦し、あがない、強め、
人生をRESTOREさせ、
新しくしてくださる主だからだ。
どうして主はそうされるのか。
どうして罪人に自由を与えようとされるのか。
どうして罪人をさまざまな鎖から
解放されようとするのか。
それは、
聖書の神様は、恵みに満ちた神だからです。
恵みは、神のご性質なのです。
あなたはコップです。
神様がポットです。
ポットからどんどん水が注がれます。
そして、新鮮なきれいな水が
あなたのコップにあふれます。
止まらず、どんどん降り注がれる水。
コップは、どれだけがんばったって
えいっ!と気合を入れたって
水をポットに返すことはできない。
それを知ってて、それでも神様は愛してくださるのです。
神様から一方的に注がれる恵みなのです。
神様は、恵みに満ちておられるお方だからです。
でも、わたしたちにもできることはあります。
一方的に降り注いでくださる主の恵みに
感謝すること。
そして、恵みを受け取ること。
受け取るとは、感情ではありません。
事実として、恵みを受け取ること。
そして、そんな素晴らしい主を愛すること。
賛美すること。
そんな神様の愛や優しさに癒されて
死に命をもたらす神の力を体験して
私たちは少しずつ
新しいものとされていくのです。
いや、主を信じる者は、
すでに新しいのです。
それは、神戸と同じように
自分をさらに美しいものとしてくださるのです。
自分の過去から自分を定めず、
主に新しくしていただこう。
神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。
新約聖書 コリント人への手紙 第二 9:8
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。 第2コリント 3:18
すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」 ヨハネの黙示録 21:5
主よ、あなたは私の陶器士です。 あなたの愛でもって 粘土である私をたたき、こねて あなたから見て最高に美しい器へと 私を変えてください。 欠けた器から 傷のない新しい器に 私を復興してくださる主に感謝します。 アーメン
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.02.17 02:37:28
コメント(0) | コメントを書く |
|