テーマ:今日のこと★☆(104450)
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しばらく書かないと書いたのに更新しまくっているのは、まあ理由がある。
あるけど面倒なんで書かない。 そしてさすがにこれと次のログを上げたらしばらくは、ホントのマジでしばらく更新できません。ご了承ください。 私はそこそこ以前から、 「どうせだったら知的に生きてゆきたいなあ」とボンヤリ思っている。 おそらくそれは私が思春期あたりに「知性」に対するトラウマを抱えたからであろうし、親や友人といった周囲の環境からの影響も強いのであろうが、まあとにかく「もうちょい知的に生きてゆきたいなあ」と思うことは多い。 莫迦でよかった、と思うことも多いけど、それはたいてい自分の莫迦さ加減が露呈した時、あるいは深く自認した時だけだ。言うなれば結果論である。後付けの論理だ。言い訳みたいなもんである。 だからして、莫迦でよかった、とは思うけど、莫迦のまんまでいいやと思ったことはあんまりない。 「過去」の自分と「現在」の自分が「莫迦である」ということには(ちょっと痛いけど)楽勝で耐えられる。けれども、「未来」の自分が「莫迦だ」というのは非常に厳しい。単純に嫌だ。 特に、今の自分より将来の自分が「もっと莫迦だ」と想像するのは激しく辛い。 莫迦には底がないから、めちゃめちゃ有り得えるんだけどね(あ、涙が……)。 なぜ「将来はもっと莫迦」が激しく辛いかというと、 すぐ上で「莫迦でよかった」、つまり「莫迦で得をした」というケースは多いと書いたわけだけども、単純に考えて「莫迦だったから損をした」というケースはもっと多いだろうからだ。 ちゅーか、「多くの社会で比較的によく損をする人」というのが莫迦の規定なんだよ、と言っても差し支えないような気もする。 最後の最後で人生振り返った時、「あー、損ばっかだったなあ」と、「しあわせ」の算盤勘定が合わないのご免だ。「ならばせめて来世で」とか言い出しそうで極力避けたい。大変負け犬の遠吠えっぽいし、そもそも「来世」、あるかどうかわかんねーし。 人生の算盤勘定でプラスを出す方法として、一番手っ取り早いのが、何かの原理主義に帰依しちまうことである。それは「自分原理主義」(個人主義ぢゃないぞ)でももちろん構わない。というより、「自分原理」はそれに帰依できるものなら、最も強力だ。 なにせ「自分で決めた自己規範に則っていれば莫迦ぢゃない」ルールの設定である。 いくら社会規範や周囲の人間から「そりゃお前、莫迦だよ」と言われようが、自分ルールに従ってさえいれば「莫迦ぢゃない」。これ最強。だって「自分原理」で設定された「自分ルール」なわけだから、「ルールを常時変える自分」も当然「莫迦ぢゃない」。 徹底できれば、一生「俺って莫迦だなあ」と思うことはなくなる。 「自分原理」ならもちろん「しあわせ」の算盤勘定も「自分」が弾くわけで、まあ原理的に「しあわせ算盤」は自分で弾くしかないわけなんだけども、それでも「自分原理」の採用者ならその勘定を無限にプラスにもっていけることになる。 なかなかファンキーで魅力的だ。 しかし大きな問題がひとつあって、その「自分原理主義者」というのは、「今のわたし(ショータ)」から見てそうとうな莫迦だということだ。もし万が一「自分が将来それを採用するかもしれない」と思ってしまうと、あれ? 「将来の自分」が「現在の自分より思いっきり莫迦」になってしまう。 一番効果だと思われる「莫迦だと自認しない方法」が、極めて莫迦。むうう、莫迦スパイラル。クルクルパーである。 土曜の夜中の3時に「クルクルパー」とかタイピングしているお前が大莫迦だ、という批判は認めない。いや認めるけど言うな。書くな。知ってるから。 さておき。「自分原理主義」はどうも具合がよろしくない。 なので「原理」を取ることにするとどうなるか。中庸やや自分主義。 試みに、自分原理主義の最も重大な「莫迦ポイント」である、「自分で自分ルール常時変更可能」という項目を取っ払ってみる。つまり「ルールは自分で決めるが、変更は滅多にしない」ということである。 お、なんだか具合よさそう。というか程度の差こそあれ、みんなやってそう。 しかしこれもまた、問題があったりする。 それは、私自身が規定する「こういうのが知的だよね」という態度のひとつに、「自分の知性には欠点がある」と常に自認してなければならない、というものがあることだ。 端的に言うと、「私は莫迦だ」としょっちゅう思っている、ということだ。 むう。このルールは具合がよろしくないようだ。どこを変えれば都合よくなるかな。 そんなことを、ボンヤリ考えながら夕飯を食べていた。まだ結論は出ていない。 探しものは見つかっていない。 「ショータってたまにひとりで考え事してるよね。なんかそういうの、知的だね」 と、今日、食堂で同期の女の子に言われた。 その時私は珍しく、まさに「知的ってなんだろう」とかいうことを考えていたわけで、こやつテレパシストかあるいは俺サトラレかとビックリしたわけなのだが、そのどちらかだとしたら、絶対に「知的だね」とは思われないだろうから、安心した。 しかもそんなこと言われちゃったりなんかしちゃったりして、かなりいい気分である。 で、そんなんでかなりいい気分になってる私は、やっぱり莫迦である。 「莫迦でよかった」と思うのは、こんな時なのである。 困った。かなり魅力的だぞ、莫迦は。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/04/03 06:33:58 AM
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