♪ 天然がすべてであった原始から見ればすべてが仮想のごとし
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雨の翌日の良く晴れて風が強かった昨日、良いお湿りだったことは確かだが日中の湿度は50%程度で、やっぱり乾燥していた。ウォーキングやランニングには持って来いの乾いた晴天だ。
中三日空いたのでこれ幸いに出掛けたが、ふと友人の家に久し振りに立ち寄ってみようという気になった。
ゆっくり坂道を駆け上るところからランを始めて、1キロも行かないうちにその彼のアトリエ兼住宅に着いた。絵画教室をやっているが、新型コロナウイルスの自粛要請の中で教室は休み。コーヒーと共にゆっくりとした楽しい時間を頂き、近況やらもろもろのつのる話に舌鼓。
近々、個展の予定だったがそれも中止になってしまったらしい。
DMを見て今回はずいぶん絵が変わっていると思い、是非観に行きたかったがとても残念だ。
コンサートや演劇、結婚式や様々なイベントなどが中止になり、個展や展示発表会などまでダメとあって画廊も閉鎖に追い込まれるところも出て来そうだ。スポーツ以外の文化的な面でも衰退を余儀なくされ、関係者が死活を問われるというのは由々しき問題だ。
それでつくづく思うのは、やることがある打ち込めるものが有るというのは有難いと、二人口をそろえて頷いていた。絵描きの彼は、絵を描いていることが掛け替えのない喜びなので、窮乏生活も自粛要請も苦にならないという。私も染色家としてやりたいことがあるし、何にしても創作という行為そのものが好きなのだから、暇を持て余すなんてことは無い。
農業や家庭菜園をしている人などは、毎日が天候と植物との対話が欠かせず、真摯に勤しんでいる内に、あっという間に一年が過ぎて行くのでしょう。コロナ禍などどこ吹く風で、自然の中に身を置いてその成長を見守る生活は、苦労も多いがその分喜びも多い。
近ごろの天候異変が苦労の方に傾かせるとはいうものの、知恵を働かせて乗り越えていくという醍醐味は生きることと密接につながっている。
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飼っている二匹の猫の大きな写真がアトリエに飾ってあって、暫し猫談義にも花が咲く。近くにケージに入れられている成猫がいて、飼い主は問題のある独り暮らしの老人らしい。近所でも心配していろいろしているらしいが、警察はネグレクトとは言えないと言ってそのまま放置されている。
一日中暖房を入れて可愛がっている友人にしても、あまりに可愛そうで見ておれないというが、どうしようもないらしい。
「店を休め、イベントはするな」と言いながら休業補償もしない安倍政権に話が及ぶのは自然の流れというもの。大企業優先で個人事業主の事なんかまったく頭にない、老人を死なせるように仕向けているに違いない・・・
世界恐慌の時よりも酷い状況になりつつあって、出口など見えず一体どこまで落ち込んでいくのか。コロナ禍が終息しても単に元に戻るだけではしょうがない。今までとは違うものに生まれ変わらなければ、艱難を体験した意味がない。先ずはテレワークが盛んになって都市集中が緩和され、地方が活性化するかも知れない。
世界が神経細胞のように繋がっているグローバルな経済社会。何も無かった場所に新しい街が出来るように、古い体質のものは置いてけぼりになる。先進国に取って代わって、のし上がって来るのはどこだろうか。
2014年4月17日のスナップ
この日は午前中だったので、帰りは昼に間に合わせる必要もあった。結局、坂道ばかり走ることになってトータル2キロ程度しか走っていない。でも、久し振りに元気な友人夫婦と話も出来た。6,600歩ほどで肉体的には物足りなかったものの、有意義なウォーク&ランだった。
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