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カテゴリ:生きるって?
去る4月9日に母が亡くなりました。 10月9日生まれでしたので、 ちょうど99才と6か月でした。 ![]() 3泊4日で、ショートスティに お願いしていた、 3日目の4月8日の朝に食欲がなくなり、その後 茶褐色のものを吐いたとお昼過ぎ姉に電話があり 私のところにはお客さまがあったので声をかけず 午後1時過ぎに姉がひとりで会いに行きました。 私は、3時頃に姉から聞いて そのあと会いに行きました。 母は、ベッドで横向きに寝ていて 「もう、いいよ」と言いました。 これまでも こういうことはよく言っていたので 私は、あまり、気にも とめませんでした。 ![]() 主治医のN先生の部屋に案内されました。 「私はこれまでとは違うと思うんですよ」 と言われて、 「自宅に連れて帰りますか? それとも 入院させますか?」と 聞かれました。 私は「これまで吐いたことはなかったので 家に連れて帰って、吐かれたら、姉も 私も まごまごしてしまうので入院させて下さい」 と お願いしましたら、 「大部屋が空いてなくて個室になってしまいます。 個室だと1日8600円になってしまいますが いいですか?短いかもしれませんし、あるいは 長くなるかもしれませんし」とのことでした。 私は、入院を お願いしました。 ![]() 私が、携帯電話を家に取りに帰っている10分位の間に 母はショートスティの部屋から病室に移っていました。 看護士さんから言われて、仮の入院の書類を3枚ほど 書いて、「お姉さんは明日何時頃来られますか?」と 聞かれたので、今日、5時半前にふたりで来ます」と 言い、姉の仕事のあと5時過ぎに一緒に行きました。 母は、さっきより良く眠っているようだったので、 起こさないで帰ってきました。帰る前に、姉が 「側についてましょうか?」と 聞くと、 「いいです。何かあったら連絡しますので、夜の間も 電話がとれるようにしておいて下さい」とのこと。 帰りがけに「悪いものを食べたとしたら、吐いて しまえば、明日の朝には良くなるんじゃないの」 などと、姉と話しながら気楽に帰ってきました。 ![]() 夜の間に連絡がなかったので、母が良くなって いるのだろうと思い、私はのんびり、庭の 竹の子を掘ったり、室内に飾った花の 水をかえたりしていました。 9時過ぎに、姉のところに 「明け方、急変しましたので来て下さい」 と電話があったというので、ふたりで 5分後には家を出て、病院に行き、 10分後には病室に着きました。 「お母さん、ゆり子だよ」と声をかけると、 かすかにうなずいたかどうかという様子。 ベッドの際にはモニターがあって、数字が 80 と 20・・・ それが 60 と 10、 たちまち 40 になって、20になって、 10 になって、0 になってしまいました。 足や手が冷たくなっていき、さすっていると いちばん下の目盛りが10とかに表示され、 遠くの親族が着くまでそうしていましたが、 それは振動などによるものだとのことです。 ![]() 母は遺体となって、姉の家に帰ってきました。 お通夜が14日、告別式が15日でした。
最終更新日
2018年04月25日 16時21分00秒
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