リーフレット 『椿と水仙の咲く島で 何が・・・』 その1
椿と水仙の島で何が? 3年ほど前、関東に住んでいる友人がカネミ油症の被害を受けていたことがわかり、西日本だけの問題ではなかったこと、被害者の苦しみはずっと続き、ほとんど救済がされてこなかったことに大変ショックを受けました。 今も続いているカネミ油症被害のことが多くの人に伝わってくれることを願っています。 今から43年前の冬、長崎県の五島列島を訪ねました。PCB汚染のことを調べているうちに、PCB入りのカネミ米ぬか油で被害を受けて、多くの人が苦しんでいると聞いたためです。長崎から船で4時間、そこから1時間バスに揺られ、さらに渡海船に乗って、着いた町の中心から40分ほど歩いた集落では,7~8割の人が油症の被害を受けているとのことでした。 その時にお会いしたお二人のお話です。 三人力の漁師だったAさん 昼にはおひつ一杯の飯を食べ、お茶時にはパンを8つもたいらげた三人力の漁師だったのに、カネミの油を食べてから体がすっかりだめになってしまった。痛みに耐えかねて、たまらなくなって診療所で痛み止めの注射を打ってもらうことが連日続くこともある。こぶし大のコブが、ひざや内股や体のあちこちにできる。できたかと思うと4~5日で消えて、次には別なところにできる。このくり返し。 背中から腰、足先まで節々が痛むし、吹き出物で体中がぶつぶつになってたまらなく痛がゆい。 全身に薄いゴムの手袋をしているような感覚があって、はがしたくてもはがれない。 まるで自分の体じゃないみたいだ。 好きな酒が飲めなくなったBさん 頭から全身に吹き出物ができて髪の毛が禿げた。好きだった酒を飲むとむかつくのでやめた。田植え時にカネミ油を買い、ドーナツなどを揚げて近所にもふるまった。吹き出物やむかつきの原因がこの油だとわかるまで、家族で約9升の油を食べた。 今も続く カネミ油症の苦しみ 第33回 ダイオキシン国際会議での訴え カネミ油症五島市の会 事務局長 宿輪 敏子さん・・・私がPCBやダイオキシンを食べてしまったのは6歳の頃です。母が何も知らず、安売りされていたカネミ油を買ってきたのです。私たち家族は、その油に猛毒が入っているとは夢にも思わず、いつものように美味しい母の手料理を数か月間、食べ続けました。しばらくして、健康だった家族全員に異変が起こりました。顔や背中に、大小さまざまな吹き出物ができ始め、朝、起きると大量の目脂で目が開かないほどになりました。 顔のむくみも尋常ではなく、ブヨブヨになった歯茎からは、歯を磨くたびにだらだらと血が出ました。 爪は黒っぽくなり、波を打つように変形しました。 体が異常にだるく、小学校の階段は手すりにつかまることなしでは上れませんでした。 ご飯を食べた後は、お腹がムカムカして具合が悪くなり、食べたらすぐに横たわるようになりました。 カネミ油を食べ始めて1年半後には、母が40度の熱を40日間も出して、死にかけました。 点滴も薬も効かず、何が原因でどこが悪いのかもわからない中、母は死を覚悟で、開腹手術を受けました。 お腹にメスを入れると、執刀医の顔に飛び散るほどの大量の膿が、肝臓に溜まっていたそうです。 その膿を取り除いて肝臓に触ってみたところ、「ザクッ」 と音がしたのだと聞きました。肝臓に砂のような≪石≫が大量にできていたのです。 ・・・母は一命を取り留めましたが、その後も入退院を繰り返し、苦しい日々を送りました。 その時の≪石≫は、今でも母を苦しめています。母の苦しみは、体の被害に止まりませんでした。家族に毒を食べさせたと、今でも時々涙を流し、悔やんでいます。さらに母を苦しめたのは、当時、母が経営していた食堂でもカネミ油を使っていたことでした。 ・・・お客さんの中に体中の毛がすべて抜け落ちた人がいました。髪の毛はもちろん、眉毛やまつ毛、鼻毛やすね毛に至るまで、すべての毛が抜け落ちたのです。・・・ ダイオキシンが混じっていると知らなかったとは言え人様に食べさせたその苦悩は誰もはかり知ることはできません。 ダイオキシン入りの油を食べたために、・・・油症被害者には、子宮や卵巣を摘出した方が驚くほど多いです。子どもを産んだ被害者の運命も過酷でした。3年前にやっと認定された被害者は油を食べた8年後に肛門のない赤ちゃんを生んでいました。人工肛門をつけ、一生懸命、愛情を込めて育てましたが、4か月で亡くなってしまいました。この赤ちゃんに肛門がなかったことは、親にも知らせず、ずっと、夫婦だけの秘密にしてきました。しかし、カネミ油症の被害者として認定された今、『あの子は、この社会に大事なメッセージを伝えるために生まれてきたのではないか』 と考えるようになり、勇気を出して、メディアの前でこの事実を証言するようになりました。2013年・・・やっと認定された女性被害者は、電話口で・・・ 『今年 認定された私の弟・・・の子どもには 歯が8本生えてこなかったんだって』 私は絶句しました。油症被害者の子どもには、永久歯が生えてこない子がたくさんいます。 前歯や奥歯が1~2本足りなかったりするのです。 しかし、8本も少ないという話は初めて聞きました。 カネミ油症事件は、過去の事件ではありません。 ・・・次世代や次々世代まで続く健康への被害は ・・・ 次第に明らかになり、勇気ある被害者の訴えによって、マスコミにも取り上げられるようになってきました。 しかし、子や孫に現れる被害が深刻であればあるほど、被害者は真相を隠します。 子どもや孫を結婚差別から守るためです。 全身的に病んでいる私の(知人)は、電話をすると、よく 『死にたい・・・ 苦しむためだけに生きているようなものだ』 と言うのです。 彼女の子どもたちも、原因不明の高熱や大量の鼻血、婦人科系疾患などで入退院を繰り返し、まともに働けないほど病んでいます。それでも彼女は、子どもたちが結婚を諦めてしまうのではないかと思い、自分がカネミ油症の被害者であることを、ずっと隠してきました。・・・被害者の血液を検査しても、レントゲンで調べても、わからないことがたくさんあります。 ダイオキシン研究者の皆さん、現場に足を運んでください。できれば1年間位住み込んで調べて、真実を暴き出してください。・・・ お願いします。◆以上、ルポルタージュ研究所発行 『韓国のダイオキシン被害者たちは今』 に掲載されて いる 宿輪さんの講演録から抜粋させていただきました。 宿輪さんは2013年8月、韓国で開催された 『ダイオキシン国際会議』に カネミ油症の被害者として、初めて正式に招待され講演されました。 その講演の一部です。 関東にも被害者の会が発足 被害から43年が経った2012年8月、『カネミ油症患者に関する施策の総合的な推進に関する法律』いわゆる≪カネミ油症救済法≫が成立しました。翌2013年1月、 『カネミ油症関東連絡会』 が発足しました。首都圏ではただひとつの被害者の会です。 共同代表や、事務局を担っているのは子どものころに被害を受け、現在、関東に移り住んでおられる方々です。 体調が悪く、参加できない方も多く、一見、お元気そうでも何かしらの疾患を抱えこまれた方などが、きびしい中、協力しあって運営にあたっています。 もう終っていたのかと思っていた!この会でお会いしたMさんは「九州の山あいで育ち、10才の時から耳や鼻の穴以外、足に至るまでほとんど全身にニキビができた。 兄弟姉妹皆にも同じ症状が出た。脂肪代謝不全という医師の診断であったが、そうであれば生まれた時から出るはず。 ニキビは19才で消えたが、疲れやすく、他の人には理解してもらえない数々の症状に悩み、自分でも不思議な病気だと思ってきた。2年前、≪カネミ油症救済法≫のことを新聞報道で知り、カネミ油症被害者の症状と、自分の症状が酷似していたので、『もしかしたら自分もカネミ油症?』 『カネミ油症って続いているの?まだ終ってなかったの?』と思って、カネミ油症被害者支援センターと厚生労働省に連絡をされたとのこと。 Mさんが10才のときとは1968年、カネミ油症の被害が拡がった時期と重なります。病名もわからない様々な症状、自分を苦しめてきた病気の原因が知りたいと思い、油症検診も受けましたが、多くの未認定被害者と同じく、 『ダイオキシン類の血中濃度が通常値で、カネミ油症ではありません』 という結果が届きました。 Mさんは『今ひどい体調不良で寝込んでいる。下痢もひどく 水も飲めなくなり入院もし、もう1か月近く仕事も休んでいる』とのこと。 40数年前にお会いした五島の漁師さんも、広島のバスの運転手さんも 下痢に悩まされていて仕事中困ると仰っていたことを思い出しました。 関東での油症検診は、千葉と神奈川の二か所だけで、年に1回あります。 神奈川では相模大野駅からバスで30分ほどかかる北里大学病院にて。 集合時間が朝の早い時間で体調の悪い人にとっては大変きつく、 遠方の人は宿泊が必要です。対応も冷たく、 『もう二度と受けたくない』 という声が多数です。 以上は、リーフレットの表面、赤と濃紺の二色刷りです。リーフレットは、A3判の両面、四つ折で、もっと詰まっていますが、このブログではそれらをバラして載せています。『椿と水仙の咲く島で 何が・・・』その2へ つづきます。