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カテゴリ:日記
昨日は雨の朝でした。
前の日に咲いていた小さなお花も、閉じています。 右側が、前日のお花です。 この日のお菓子はこちらでした。 「期間限定」「焼いも」このふたつの言葉を見て買い物かごへ (楽天のほうでなく、近くのお店の買い物かごです(^-^) おいもは「芋名月」も思い浮かべて選びました。 訪問したブログで歳時記を知り、 十五夜に「おいも」をお供えすることに込められた意味を、 教えていただいたことがきっかけです。 こちらは、もうひとつの「季節限定」です。 前の日に行った先で描いた、母の作品です。 指先のリハビリの一環で描くものですが、黒い目は母が勝手に付け足しました。 デイサービス先の職員さんや、お仲間の方たちに、大笑いされたそうです。 おとなりのかぼちゃは、「坊ちゃんかぼちゃ」です。 手のひらサイズのかわいいかぼちゃです。 お店で見て、お気に入りになりました。 かぼちゃの横にあるのは、母と私のお気に入りの、あひるの箸置きです。 大きさの目安になれば、幸いです。 これは、食卓の横の一角ですが、 四角い方がファンヒーター、手前の青いのが蚊取り器、 今は、どちらも使っています(^-^) 前の日にお伝えした防府天満宮の続きです。 写真は、その梅園にある句碑です。 「晴れて鋭い故郷の山を見直す」とあります。 これは種田山頭火の句です。 山頭火は自由律俳句の俳人で、防府天満宮の近くの大地主・種田家の長男として生まれました。 漂泊の俳人とも言われ、旅の道中で句作を行い、多くの作品を残しました。 自由律俳句は、五・七・五の型に縛られない俳句ですが、私が印象に残っているのは、 「分け入っても分け入っても青い山」 という句です。 すぐに情景が目に浮かび、そんなところを旅していたんだなぁ、といった感想でしたが、 説明文を読むと、少し印象が変わりました。 度重なる不幸な出来事にあい、晩年の日記に 「無駄に無駄を重ねたような一生だった」と記したそうです。 山頭火の略歴をたどると、その壮絶な生涯は胸に迫りました。 防府から熊本へ移り住み、その後上京し、最期は愛媛県の松山市でその生涯を閉じたそうです。 山頭火の句碑は、防府市内の各所にありますが、 身近にあったその句が、以前とは違う趣をみせるようになりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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