コミュニケーション
久しぶりの更新です。週末の3日間はワークショップにいっていました。「停滞している自分の人生を少しでも前に進める」を目標にしていきました。仲間のブログを見ていて気づいたのは、皆さん自分のグループをよく見ていらっしゃるなぁということです。私には人を見る余裕も自分を見る余裕もない。しかも回を追ってその感覚は強まるばかりです。足がバタバタしてしまい行きたい所が定まらなくなるんです。長い間、自分の人生の責任をどこか放棄したような生き方をしてきた悪い習慣なのかもしれません。自分の子どもを見ていると、長男は学校のクラブ活動に打ち込んで、朝早くから夜遅くまで本当によく頑張っているのと対照的に、遊び好きな次男は、兄が相手してくれなくなった時間を家で一人ゲームをしながらすごしていることが多いです。学校にいく時にもよく一人で怒ってます。帰りぎわ、悪態をついている声を聞くこともあります。月曜日、私に気を利かせて、家事を手伝ったつもりが失敗して大惨事になり、花瓶の水を盛大にカーペットにぶちまけてしまった次男。腰が抜けて、「ごめんなさい」「ごめんなさい」と泣きながら何度も叫ぶ次男。怒るとかそういうのじゃなく、私まで情けない気持ちになって泣き出しそうになりました。何をやっても疲労感や徒労感でいっぱいになって、慰めばかりが増えていくような生き方を考えてみれば子ども時代からずっとしてきたような気がします。そんな惨敗気分をしたがえて、コンプリに参加しました。先生いわく、私の話の成分表を作るとしたら「あきらめ50%、中毒40%、感覚が10%」なのだそうです。コミュニケーションがかぎだと。私の話は、次男の話同様、相手に伝わりにくいらしく結局どうしたいのかがわからない。と、昔からよく身内(特に母)に言われました。嫌なことを嫌と言えず、まだるっこしい言い回しをするうちそのうちだんだん、相手に言いくるめられて、本意ではない役割をせおわされてしまうようなところがあり、自分でもずっと、そういう生きづらい自分が好きじゃなかった。なんで私ってこうなんだろう…って、昔よく考えたことがあります。そこで私が今まで選んできた方法は、がまんするか、怒りから切れてしまい自爆するか、相手から逃げるかの3種類だったように思います。一人の大人として、人と対等なコミュニケーションを築きたい。人をコントロールすることもされることも望まない、新しいコミュニケーション手段が欲しい。ケンカするのではなく、相手の話を尊重しつつ自分の意見も言う。皆さんがこのブログを読んで感じることがありましたら、アドバイスいただけるとすごくうれしいです。がまんするか、キレるか、2種類しかない今までの私のコミュニケーション方法から、