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<袴田事件>再審可否、来週後半にも最終決定 東京高裁
1966年6月、静岡県清水市で起きたみそ製造会社の専務一家4人強盗殺人・放火事件で、死刑が確定し、再審を求めている元プロボクサー、袴田巌死刑囚(68)に対し、東京高裁は来週後半にも最終決定を下すことを決めた。袴田死刑囚は、捜査段階でいったんは犯行を認めたが、公判では一貫して無罪を主張してきた。(毎日新聞) [8月16日21時50分更新] http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040816-00000108-mai-soci 袴田事件のあらまし 静岡県中部、静岡市の東に隣接する旧清水市。その東端の町横砂で、1966年(昭和41年)6月30日未明、味噌製造会社の専務宅から出火、全焼した現場から、刃物による多数の傷を受けた一家4人の死体が発見されました。焼け跡のガソリン臭から、放火であることも明らかでした。しかし、被害者宅には多額の現金、預金通帳、有価証券がほぼそのまま残されていたので当初怨恨による犯行と考えられていました。 袴田巌さんは、事件当時、現場近くの味噌工場の二階の寮に住み込み、働いていました。 袴田さんにアリバイがなかったこと、事件後左手中指に負傷していたこと(実際には消火活動によって負傷)そして特に元プロボクサーであったことなどから、警察は、はじめから袴田さんが犯人と決めつけていたように見えます。 例えば、事件発生から4日後の7月4日には、警察は、袴田さんの部屋から肉眼ではみえないほど微量の血痕しか付いていないパジャマを押収し、マスコミには「血の付いた衣類発見」と大々的に発表しました。そしてその後、パジャマには微量の血痕や放火に使われたものと同種の油が付着していたとして袴田さんを逮捕し、それをもとに長時間の取調べによって袴田さんに虚偽の自白をさせてしまったのです。 ところが、一審の公判中である1967年(昭和42年)8月31日、工場内の醸造用味噌タンクの味噌の中から5点の衣類(ズボン、ステテコ、緑色ブリーフ、スポーツシャツ、半袖シャツが麻袋に入っていた)が発見され、9月12日には袴田さんの実家に捜索に赴いた警察官が、このズボンと生地・切断面が一致する共布を「発見」しました。 こうして、自白では、犯行時、パジャマを着用していたとされていたにもかかわらず、裁判所は、5点の衣類が殺害行為の際の犯行着衣であるとし、それが決定的な証拠であるとして袴田さんに死刑判決を言い渡し、1980年(昭和55年)に上告が棄却され死刑が確定してしまったのです。 袴田さんは、1981年(昭和56年)、静岡地裁に再審を申し立てましたが、1994年(平成6年)8月9日棄却され、現在東京高裁第二刑事部に即時抗告審が継続しています。弁護団は、2001年(平成13年)8月3日最終意見書を提出し、裁判所の決定を待っています。 裁判所が認定した事実 裁判所は、この事件は袴田さんの犯行であるとして、次のように、虚偽の「自白」に基づきながらも、 犯行着衣など「自白」では説明のつかないことについては、きわめて不自然・不合理な事実認定を 行いました。 【動機】 当時離れて暮らしていた子どもを引き取るためにアパートを借りる資金などのお金欲しさから 【侵入】 午前1時半頃、クリ小刀を持ち黒っぽい雨合羽を着て、屋根づたいに被害者宅の中庭に侵入した 【殺害行為】 被害者宅を物色中、専務に発見されたためクリ小刀で刺し、さらに物音に気づいて起きてきた他の3人も次々に刺した 【放火】 4人を刺した後、裏口に廻り、裏木戸をかんぬきと下の留め金だけをはずし、戸を無理にめくり上げて外に出、味噌工場内にあった混合油をポリバケツに入れて、再度裏木戸から侵入し、4人に油を振りかけてマッチで放火し、再び裏木戸から外に出た 【金品奪取】 被害者宅から、金袋3個だけを持ち出したが、そのうち2個は裏木戸の外側と、線路付近に知らずに落としてしまった 【着衣】 犯行着衣はパジャマ、雨合羽は白っぽいパジャマを隠すために使用(検察官の冒頭陳述)→犯行着衣は5点の衣類(1年2ヶ月後、5点の衣類発見後変更された冒頭陳述)→殺害行為のときは5点の衣類を着用していたが、工場内でパジャマに着替えをして放火(裁判所の認定) このように「自白」にはなかった5点の衣類が発見されたため、裁判所は犯行の途中で着替えをしたなどという不自然・不合理な事実を認定せざるを得なかったのです。しかも、5点の衣類のスポーツシャツやズボンは黒っぽいものであったため、雨でもないのに雨合羽を着た理由も説明できなくなってしまいました。 作られた「自白」は無実を語る なぜ無実の人が虚偽の自白などするのか 無実の人は、自分が犯行を犯していないこと、そして自白が虚偽であることを最もよくわかっています。したがって、死刑になるかもしれないということを、現実のこととして認識することができません。 だからこそ、後で裁判官に対して本当のことを話せば、裁判官は自分の無実をわかってくれるはずだと信じ、目前の苦しみから逃れるために、虚偽の自白をしてしまうのです。袴田さんも、自らが作成した「上告趣意書草案」の中で、苛酷な取調べから自らの生命を守るために自白してしまったのだと訴えています。 裁判所も自白強要を認め証拠から排除 逮捕されて20日目の9月6日に「自白」するまでの取調べは、8月の猛暑の中、平均1日約12時間にも及ぶ連日長時間の苛酷なものでした。その上、警察は便器を取調室の中に持ち込み、捜査官の見ている中で排泄をさせるという、袴田さんの人格自体を否定するようなひどい取調べを行ったのです。そのため裁判所も45通の「自白」調書のうち44通は違法な手続によるものとして排除し、証拠として採用されたのは9月9日の一通のみでした。 「自白」の内容は、パジャマの上に雨合羽を着て侵入し、合羽を途中で脱いで犯行を行い、放火後工場内の風呂場でパジャマを洗った、などとなっていました。 ところが、その後「自白」と矛盾する5点の衣類が出てきたため、有罪判決を下した裁判所すら、犯行着衣がパジャマであるとする「自白」には事実に反する部分が多いことを認めざるをえなかったのです。 しかも、新証拠により、裏木戸は通る事ができず、被害者にはクリ小刀ではできない傷があったとされるなど、自白の内容はことごとく事実に反することが明らかになったのです。 作られた「自白」は無実を語る 真犯人の自白と無実の人の強制による「自白」とは、犯行体験の有無により自ずから供述にその違いが現れてきます。供述心理の専門家は、袴田さんの「自白」には、「無知の暴露」が含まれていると指摘しています。すなわち、無実の者が、自ら「犯人になって」想像で語った自白には、その自白内容自体に、その当人が事件のことを何も知らないという兆候が現れるのです(「浜田鑑定書」)。袴田さんの「自白」は、次のような点から、無実の人が強制され、取調官に誘導されてできた「自白」であることは明らかであるとされています。 a 真犯人であれば、全面自白したあとに嘘をつく理由はないにもかかわらず、例えば、着衣や殺害順序や動機など、犯行の筋書きの核になる部分に「嘘」がふくまれていたり、変遷していたりする。 b 真犯人なら間違えようのない事実、例えば金袋の形状や死体の位置などを間違えており、このことは犯行状況について袴田さんが無知であることを暴露している。 c 真犯人のみが知っている「秘密の暴露」が全くなく、取調官が知り得た情報で誘導できる内容ばかりである。 凶器とされたくり小刀での犯行は不可能 判決で凶器とされたのは、焼け跡の事件現場から発見されたくり小刀一本だけでした。これを用いて、被害者4人に大小合わせて約50箇所もの傷を負わせて殺害したことにされたのです。ところが、発見されたくり小刀は、刃先が欠けていたものの刃こぼれひとつなく、刃体もまっすぐのままで、とても人も身体に多数の傷を負わせたものとは見えませんでした。 弁護団は、被害者の一部の傷は、くり小刀よりも刃体がもっと細くて長いものでなければできないとする鑑定書を提出し(「押田回答書」、「横山鑑定書」)、くり小刀だけが凶器であるとする裁判所の認定は科学的にも誤りであるということを明らかにしました。 ところが再審請求を棄却した静岡地裁は、計測例が二例しかなく体型も被害者と異なるからなどの理由だけでこれらの新鑑定を排斥したのです。弁護団は実験例を増やし、似たような体型であれば被害者との差異はない、とした法医学者の意見書を東京高裁に提出しています(「押田新回答書」)。 また、被害者4人の傷の一部には、胸骨や肋骨を切断あるいは貫通した「ものすごい力」が加わっています。弁護団は、くり小刀には骨を切断・貫通するほどの強度はなく、無理に骨を切断しようとすると、刃体が曲がったり刃体が柄から抜けたりしてしまうことを確かめた記録ビデオも、東京高裁に提出しています。 裏木戸からの逃走は不可能!警察写真はインチキ! 袴田さんが現場から脱出したとされている裏木戸は、左右二枚の戸でできており、戸の上下に留金が一つずつ、中央にかんぬきがある造りです。事件直後、下の留金とかんぬきははずれていたものの、上の留金はかけられていたままでした。そのため、袴田さんは裏木戸の下部を無理にめくりあげてできた左右二枚の戸のすき間から脱出したとされたのです。そもそも、住み込み従業員であった袴田さんにとって、食事や仕事で毎日通る通路にあった裏木戸は、その造りも留金の位置もよくわかっており、戸をめくり上げて通るなどという不自然な行動をするはずがありません。もし袴田さんがここを通ったなら、留金ははずれていたはずです。 これでなぜ認定したのか! 起訴後、警察は裏木戸を再現して上の留金がかかった状態で人が通れるかどうかこっそりと実験を行い、公判で、警察官が「自白通りやったらできた」と、写真三枚を添付した実験の報告書にもとづいて、その結果を証言しました。ところがその写真には肝心の、上の留金部分が写っていませんでした。にもかかわらず、裁判所は裏木戸を犯人の逃走口と認定しました。 上の留金がかかったままでは、人は通れない! 写真に疑問を持った弁護団は、戸のたわみの力学実験を実施し、その結果、上の留金をかけたままでの状態では、人が通ることはできず、無理をすると留金のネジ釘が抜けてしまうことがわかりました(「前田鑑定書」)。 警察の再現実験は、上の留金をはずして行っていた! さらに写真工学の専門家が、警察の実験写真のコンピュータ解析をした結果、写真のような人の身体が入る程度の戸のすき間の状態では、上の留金がかかっていることはありえないことがわかりました(「横田鑑定書」)。 そこで、弁護団と支援団体は、カメラの位置、撮影する角度などをかえて、警察官が写真を撮影した方法を検討したところ、やはり上の留金をはずさないと同じ写真は撮影できないことがわかりました。 こうして警察の写真は、上の留金がはずされていながら、その部分が写らないように撮影されていたことが完全に明らかになったのです。 http://www.hakamada.net/hakamatajiken/jiken_menu.html -------------------------------- 文字数の制限があるので、「袴田事件略年表」と「5点の衣類は「ねつ造された証拠」だった!」を略したが、これらは上のURLで読めます。 この事件は冤罪である可能性が非常に高い。 再審開始が認められれば、死刑事件としては財田川、免田、松山、島田各事件に次いで戦後5件目になる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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