待ちに待った同窓会が30年ぶりに浜松サゴーインホテルで行われた。何としてでも成功させなければと言う思いで過ごしてきた約8ヶ月同窓会を思い立ったのは昨年の9月だった。30年以上も前の名簿を取り寄せ人探しに明け暮れた毎日、最初は一人で始めた名簿作りにも協力者が現れ次第に見つかる人の数も増えていった。途中で挫折する事もしばしばあった。インターネットと電話を駆使して多くの人を探し当てた。今思えばその充実した日々私は活き活きとしていたし、どこから見てもうつ病を患っている人間には見えなかっただろう。苦労して一人見つけた時の喜びは計り知れないものがあった。相手が自分を覚えていなくとも心よく名簿に掲載する事を承諾してくれた時はまさに「やった!」と言う達成感で一杯であった。実行委員メンバーを決めて3月と4月に打ち合わせを行い同窓会開催の通知を発送しどの位の人数が集まるのか不安であった。途中経過の報告が入る度に何度もため息をついた。返信締め切りの5月10日を過ぎても返事のない人も複数いた。私も実行メンバーも最後まで諦めず頑張った。22日直前で発見できた最後の大物12病棟の婦長さんと連絡が取れた時には大感激であった。そうして向かえた開催日、開催2時間前に会場に入り念入りな打ち合わせ、受け付けの準備.。私はただおろおろするばかりであった。体調も今ひとつすぐれなかった事もあったがみんなが力を合わせてここまでやってきたのだ。もっとしっかりしろと自分に言い聞かせていた。13時を過ぎた頃からポツポツと人がやってきた。当時のまんま何も変わってない人、全く名前と顔が一致しない人それぞれである。会場に来る人達もそれぞれ不安を抱えながらの来場かもしれない。それも当然である。何しろ30年という長い年月が経っているのだから。開催時間の14時にはかなり大勢の人達が遥か昔を思い出しながらにこやかに会話をしている。そんな風景に私の心もホッと一安心であった。そして先生や婦長の来場、がっちりと握手を交わし挨拶をした。80歳を超える老体に鞭打ってやって来てくれたのである。一体どれだけ集まったのか正確には把握していないが予想を超える人数であったのは間違いない。開催セレモニーが始まり現養護学校校長の挨拶など、そして私の乾杯でスタートした。名刺交換や写真撮影皆さんへの挨拶や接待、ご馳走を目の前にしながらあちこちと動き回った。そして中日新聞社の取材を受けたりと忙しい。時間はあっと言う間に過ぎ開催終了の時刻、最後は私の詩の朗読で同窓会は終了したが大成功であった。