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カテゴリ:詩集小説
「はい、川合ですが」祖母が黒い受話器を取った。「さよ子さんのお母さまですね」「さようですが何か」「今直ぐ来て頂けませんか」「はあ?さよ子がなにか」「はい、実は…」母は印刷物を届ける為に霧雨の中、合羽を着てスーパーカブに乗り出かけた。何故オート三輪車を使わなかったのでしょう。今思うとそれがとても悔やまれてならない。霧の立ち込める道路は夕方のように見通しが悪かった。合羽を羽織っているせいもあり、水滴が目に飛び込んできた。スピードはそれ程出していない、そう30キロ程度だったかもしれない。走る車やバイクの数も少なく、信号も殆ど整備されていなかったし、普段から走り慣れている道は自分の家の延長にも思えた。油断したわけではなく、運が悪かったのだと諦めの空から大粒の涙が降ってきた。トラックに衝突したバイクの形は原型を残さず、くの字に折れ曲がり、濡れたアスファルトには届かなかった紙切れが散乱していた。母はその瞬間、大空に向かって高く高く舞い上がった。長い黒髪が解けて雨の中を舞う。地上に舞い降りることもなく永遠に旅立ったのよ。さよならのひと言も告げずに。
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Last updated
2006.01.14 20:18:36
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