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吾が輩は野良猫である

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ルキシト

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2013.03.14
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テーマ:闘病日記(4004)
カテゴリ:健康

 

病室.jpg

 

 脳梗塞で倒れたあの夜の事、孤独と絶望感に打ちひしがれ、完全に麻痺した身体からは涙の一滴すら流れ落ちなかったが、心は無念の涙で溢れ返っていた。
 ベッドから落ちた時に自分の右半身がどのような状態だったか全く想像すら出来ずにいた。紫色に腫れ上がった右腕が骨折しなかったのは奇跡とも言えるかも知れない。

 辛うじて自由に動いた左手だけを頼りにベッド上に戻ろうと、必死にもがいていた。声を上げる事も出来ず、半開きの口からたらーりとだらしなく唾液だけが床に糸を引いて流れ落ちた。まるでそれは助けを呼べない苦悶と悲痛の涙だったのかも知れない。

 次の朝を迎える事が出来るのか、そんな事すら考えも及ばなかったが、身動きが取れない身体の奥底で「このまま死ぬ訳にはいかない」とくちびるを噛み締めていた。

 そして奇跡的な復活を遂げたあの日から丁度一ヶ月が経った2月5日の事だった。心不全の症状は数日前から現れていた。

 短期間で急激に体重が4キロ増え、僅か数十段の駅の階段を昇る事が苦痛でならなかった。階段を昇りきったその場所で、もう一歩も動けずに呼吸が今にも止まってしまうのではと思えるほど苦しかった。

 手足はおろか身体全体がダルマのように浮腫み、それは肺にまで及んでいたから起座呼吸をしても一向に楽にはならず食事も受付なくなっていた。

  もっと早く病院へ行くべきであったが、父親ゆずりの下らないプライドが邪魔をし、限界ギリギリになって友人に諭されながら三井記念病院に電話を入れたのが 夜の8時頃だった。タクシーで行くと救急外来の看護師に伝え、車の手配をしている矢先に病院から折り返し電話が入った。

 看護師からきっぱりと「救急車を呼んで下さい」と告げられる。わたしは過去に心不全で何度も緊急入院しているが、救急車を呼んだ事はなかった。おそらく脳梗塞の事もあり病院がその辺りも配慮に入れての判断だったのだろう。

 退院後一ヶ月もしない内に病院へ逆戻りとなってしまった訳で、何ともやりきれない思いで胸が一杯であった。

 救急外来では3人の若い男性医師たちが電子カルテを見つつ何やら呟いていた。「ラニラピッドを止めてメインテートに切り替えた…ふむふむ」「ラシックス40ミリを20に減らしたんだね…」「この辺が心不全の要因かな…」。

 確かに薬が変わった事も心不全を招いた要因の一つではあるが、それだけではない。脳梗塞以前と後では身体に大きな変化があったのは事実であり、そしてまた自分の自己管理の拙さも手伝って複合的に心不全を発症したのである。

 不安定なバイタルサインが出ている事から、いつも通りに左腕からラインを取りラシックスとワソランの点滴が始まった。安静時でも120を軽く超える頻脈と、そしてサチュレーションが95を下回っていた事もあり直ぐさま3リットルの酸素吸入が始まる。

 高濃度の新鮮な酸素を貰って身体が喜んだのかその酸素がとても美味しく感じ、生きる事の意味が殊更身に染みた瞬間でもあった。

 更にこれは自分でも予想外であったが、バルーンを尿道に挿入。そして紙オムツまで履く事になってしまったが、今回の心不全がかなりの重症である事を物語っていた。

 絶対安静、ベッドから一歩たりとも降りる事が出来ないのである。外来で応急処置を済ませると運ばれた所は6階にあるCICU(冠疾患集中治療センター)であった。その場所は重症患者を受け入れる施設である。

 物々しい医療機器と慌ただしく動き回る看護師たち。そして耳に響いて来る独特の機械音が生きている証の様に聞こえて来た。

 「○○さーん、聞こえますかー?」「此処が何処だかわかりますかー」若い看護師たちの張りのある声がとても健康的に思えたが、呼び掛けられた患者からの反応は全く聞こえて来なかった。そしてまた入院慣れしたこの身体が病室のベッドに直ぐ馴染んでしまう事も哀しかった。

 次の朝の午前中にある程度症状が安定した事から、そこを出て同じ階にある「循環器専門病棟」に移されたが依然として酸素も点滴もそのままで移動時は車椅子であった。

  一週間ほどその専門病棟で加療し、2月14日に12階の一般病棟に移ったのだが、なんと脳梗塞で入院していた時と同じ病室であり、つい最近までお世話に なった医療スタッフたちがそのまま居たこともあり気恥ずかしさを隠す為「戻って来ちゃいまいしたー」と照れ笑いを浮かべて挨拶をした。

  身体の浮腫は眼に見えるほどの早さで消えて行ったが、肺に溜まった水がいつまでも抜けずに残り、そして原因不明の微熱も続いていた事から入院は更に長引い たが、2月24日に退院の許可が降りた。「退院おめでとう」この言葉をわたしは過去に何度も聞いて来たが、本音を正直に言ってしまえばわたしは退院を心底 嬉しいと思った事がない。

 病気が治って退院するのなら手放しで喜ぶ事が出来るのだが、このわたしが抱えている病気は治る事がなく悪化の一途を辿るばかりなのである。

 完全看護のバリアで守られた特別室から厳しい現実が待ち受ける世界に放り出される訳で、自己管理を僅かでも怠ればまた病室に逆戻りという悪循環の繰り返しなのである。

 然しながらこの自分が置かれた現実に希望を失っている訳ではない。空気を吸い、口が聞け、両手両足が動き自分の意思で歩く事が出来る何でもない当たり前な事が如何に幸せかをこの瞬間にも感じ取っている。

  もちろん脳梗塞の再発或いは脳内出血など様々なリスクを抱えてはいるが、右半身麻痺と言う過酷な運命を乗り越えて奇跡的に生き延びて来たのだからここれを 新しく与えられた命として受け入れ「死」ではなく「生」をスタンスとして残された時間を全うして見せると自分に言い聞かせた訳である。






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Last updated  2013.03.14 17:07:59
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Re:脳疾患と心不全。(03/14)   Happy Birthday! さん
読ませていただきました。
お大事にしてください。
救急医療って然るべき医療機関に運ばれると運命を変えられるのだなと思いました。日頃からまさかのときの病院をチェックしておきたいけど,,,,田舎だから。。。。そんな設備のある医療機関はここら辺にはないです。。。
元気になられることを祈っています。
(2013.03.14 23:12:50)


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