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カテゴリ:沖縄
0569 オキナワノコワイハナシ3
※オモテ面 【スタッフ】 『普天満山神宮寺、二時の霊道』 ・監 督 新垣拓史 ・脚 本 永田健作 『ヘーガサー』 ・監 督 高山創一 ・脚 本 高山創一 『ミーガンチョー』 ・監 督 高山創一 ・脚 本 高山創一 【キャスト】 『普天満山神宮寺、二時の霊道』 ・又吉裕子 ・平安信行 『ヘーガサー』 ・桃原 遥 ・大嶺 淳 『ミーガンチョー』 ・内田周作 ・桃原 遥 ・大嶺 淳 ※ウラ面 【仕 様】 ・型 番 RAK-022 ・製作年度 2010~11年 ・製 作 国 日本 ・英 題 Okinawan Horror Stories ・収 録 52分 ・サ イ ズ 16: 9 LB ・音 声 ---- ・字 幕 ---- ・そ の 他 片面1層、MPEG-2、COLOR、DOLBY DIGITAL、 NTSC 日本市場向、DVD、セルorレンタル ・定 価 本体2,400円+税 ・企 画 琉球放送、山田優樹 ・製 作 琉球放送、山田優樹 ・協 力 劇団O.Z.E ジー・ジープロモーション ・発 売 元 RBC 琉球放送 ・販 売 元 株式会社楽創舎 ※ピクチャディスク 【ジャケット】 ・オモテ面:琉球ホラー ・ウラ面 :でーじ鳥肌! RBC琉球放送で旧盆恒例のテレビ番組 「オキナワノコワイハナシ」。 沖縄に拠点を置く気鋭のクリエイター達 が、琉球古来の風俗・習慣・迷信を 取り込みながらも<今>の沖縄の息吹を 吹き込んだ、 新たな恐怖のエンターテインメント! オモテ面は、古い沖縄の民家が中央に描かれ、何やら不気味なモノが、こちらに手を伸ばしている。今回はグリーン系で色彩統一されている。(『1』と『2』はブルー系だった) 瓦屋根の上には、チョコンとシーサーが乗っている。少しアクティブなジャケットだ。 ウラ面は、同じレイアウトだが、上の方の下地がグリーン系になり、右上には悪霊(?)が描かれている。 全般的に変化が訪れていて、シリーズを通してみると、いい仕上がりではないかと思う。 【感 想】 「残酷な童話の行く末」 グリム童話は、出版されて版を重ねるうちに最適化されて行ったらしい。時代の要請に応えるカタチで取捨選択、改変されたワケだ。シンプルで分かり易く、よりソフトになった。 よく言われるように、恐怖や悪意、性的な表現は薄らいだ。それは当然のようであり、倫理や道徳の面から、社会や家族の根底にある規範が正常に機能していた証左だと思う。 ■第1話 普天満山神宮寺、二時の霊道 Soul way of Futenmanzan at 2:00 A.M.(2010年 夏) 深夜、普天満山神宮寺の前を通りかかったカップル。近道をしようと境内に入った2人だったが、そこは彷徨える霊魂が出没する場所だった。 ……というお話し。 ストーリーは、ほぼない。(笑) カップルが霊に襲われるだけ。何の説明台詞もないのだが、衣装などからカップルの背景などが浮かび上がる。“このカップルは同棲している。同棲して長い。夜中、食べ物を買いに出て、コンビニで雑誌を立ち読みしているうちに夜中になってしまった”とか……。なかなか秀逸だ。(苦笑) ■第2話 ヘーガサー Scab(2011年 夏) 大学の新任職員の桃子は、休日出勤して仕事をしていた。ふと気が付くと、腕に湿疹のようなものが出来ている。 それを見た清掃員の金城は、ただのヘーガサーでないと判断。呪いを解くために、焼いた藁を彼女の腕にこすりつけるが、時既に遅く、金城にも桃子にも魔の手が忍び寄っていた。 ……というお話し。 私は肌が弱いので、ちょっと虫に刺されただけで大きく腫れてしまう。植物に触れても、ヘーガサーのような湿疹が出来る。だから、抗生物質を含んだ塗り薬を常備している。 藁を焼いて患部にこすりつけるより、ちゃんとした薬を塗ったら良かったんじゃないか? ■第3話 ミーガンチョー Glasses(2010年 夏) 自動車修理工場。作業中にメガネを壊したマモルは、忘れ物の中から自分に合ったものを探しだして使い始める。 ところが、視野の片隅に女の影が見え始める。気味が悪くなって女性事務員に相談すると、彼女は、以前、この工場で起きた事故について語り始めた。 ……というお話し。 子供の頃から眼鏡のお世話になっているので、何本もスペアを持っている。視力は落ちる一方だから、一度も使わずに役に立たなくなることもある。が、壊れると、どうにもならないので、これは仕方ない。(溜息) 本作品の主人公についても、なんで予備を持っていないのか不思議だった。私には考えられない。ましてや、他人の眼鏡を使うなんて……。面白かったけれど、個人的には説得力がなかったように思う。 思うに、グリム童話を「本当は残酷でコワイお話しだった」とセンセーショナルに謳うのは、現代社会や家庭の根底にある規範が崩れつつあるからではないか。昔は眉をひそめた事柄も、いまはエンターテイメントとして扱われる。 私自身、楽しんでしまう方だから大きなことは言えないが、時折り足が竦むような不安に襲われることがある。 グリム童話が再び残酷な童話として出版され、それがスタンダードになってしまうのではないか、それは、どう考えても宜しくない。童話は童話として、怪談は怪談として息づく社会の方が健全だ。 私も、もう少し全うな生活をしなければと思った次第。(笑) オススメ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.10.24 06:35:40
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