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カテゴリ:英国日記(日常編)
28 July
<セミナーSeminar> テーマは第2次世界大戦。 セミナー前に、クラスで予備知識を確認する時間がありました。 そこでの話をしてみたいと思います。 <中国が勝った日> 「あなたの国にとっての歴史的な日はいつですか?」 こう聞かれて、僕は「終戦記念日」を思い浮かべた。 8月15日。 最初、大ボケをかまして、自分の誕生日を言ってしまって、クラスを爆笑の渦に巻き込んでしまったが、 8月15日。 僕が「戦争が『終わった』日」と言う前に、クラスの中国人の友人が、 「中国にとっても、それは大事な日よ。だって中国が日本に『勝った』日だもん」 ……おや? ものすごく違和感がありました。 日本が「中国」に負けた、なんて考えた事がありませんでしたから。 日本が負けたのは「アメリカ」だと思ってましたから。 英国に来てから中国人の知り合いが激増したお陰で考え方が変化し、 昔は「反日とか言ってんじゃねーよ!日本に文句を言う前に教育方法とメディアを変えやがれ!大体昔の事を根に持ちすぎなんだよな。もっと未来志向になれないもんかね?」なんて思って、ちょっとした「プチ反中」だったんですが(「プチ」を付けると無駄に柔らかい感じになりますね)、 今は「中庸派」を取ろうと、できるだけ客観的になろうとしています。 ※ここで言う客観的とは「主観的ではない」と言うより、「双方の意見に耳を傾けて判断するように努める」というものです。結果的に「客観的」になれる気がするので。 そんな僕でさえ「はぁ?何言ってるんや?」と違和感と不快感を感じました。 「少なくとも中国に負けた覚えは無い!」と、たまたま隣に居た台湾人の友人に文句を言ったら、こう言われました。 「そうだよね。戦争に勝者も敗者も無い」 その言葉を聞いて、自分が恥ずかしくなりました。 日本がどこに負けていようが関係ありません。 戦争そのものと、戦争の惨禍を反省し、戦争を望まない。 そう思っていた自分が「中国が日本に勝った」という言葉によって、「よくない形での愛国心」が鼓舞されて、 「日本は『アメリカ』に負けたのであって、『中国』に負けたんじゃないやい」 と、クラス全体に向かって、ムキになって言う所でした。 「戦争」というものを見るときにそんな考え方は大して問題ではないと思います。 「勝った負けた」ではなく、「戦争で何が失われたのか」 この側面を見ることのできる自分でありたいと思います。 <歴史問題 Historical Problem> とは言うものの、日中の「歴史問題」を見る時には、「勝った/負けた」は重要になってくるのでしょう。 読売オンライン(2002年12月5日)にこんな記事がありました。 中国政府のシンクタンク社会科学院日本研究所が日中国交正常化30周年を記念して行なった世論調査にて。 (1)日本へ親しみを感じるか 「感じる」 5.9% 「感じない」43.3% 「普通」 47.6% (2)感じない理由は?(5項目から) 「中国侵略を今もきちんと反省していない」63.8% (3)靖国神社への首相の参拝 「どんな状況でもすべきでない」50.9% 「戦犯を分祀した後なら良い」 19.3% 「謝罪後なら良い」 12.3% (4)日本の対中政府開発経済援助(ODA)供与 「継続すべきだ」 44.3% 「徐々に減らしても良い」25.7% (浜本良一「読売オンライン」2002年12月5日『中国人「日本へ親しみ」わずか6%』) ここで取り上げたいのは(4)のODA。 ひょっとしたら、この対中ODA、中国からすれば「勝者だから当然」という気持ちがあるんじゃないのかな?と僕は推測してみたのですが、どうなんでしょう。 だって、結構都合がいいですよね? 「アレはダメ、コレはダメ。」と言いながら「金はよこせ」だなんて。 これには「中国が日本に勝った」という気持ちがあるからではないのか?とふと思いました。 また、「反日教育は中国共産党の支持の為に利用されている」というのは有名な話だと思うのですが、 最近見つけたWebsiteで、「反日」が悪化したのは天安門事件以降だ、という話を見ました。 天安門事件で求心力が失われることを恐れた中国政府が利用したのが 「第二次世界大戦で『日本に勝った』共産党」という点。 「日本」という敵を創る事で愛国心を鼓舞させ、国内の矛盾を隠すために日本を利用する。 愛国心が国内問題に対する国民の目を盲目にするのは、アメリカを例に挙げずとも明確でしょう。 「仮想敵国」と「愛国心」は国民を一致団結させます。 そして、その時、何かを見失っているのです。 <追記1 仙水の言葉> 授業で先生が「第2次世界大戦で『独・伊・日』の枢軸国に対抗したGood Sideの連合国」という表現を用いました。そういう見方を「できる」事が問題なんですよね。Good Sideと言い切れる所が。 某有名漫画で「戦争も良い国と悪い国が戦っていると信じてた。子供だろ?」という台詞がありました。 戦争を「良い国VS悪い国」で判断しているようでは、精神的にまだまだ子供の考え方なのかもしれません。 さっきの僕は間違いなく子供でしたけど。 <追記2 僕は反中家ではない> 歴史問題のところで、中国に反感を持つような記事を載せましたが、現在の僕は反中家ではありません。 また、中国を嫌いになってもらおうと思って、あの記事を載せたわけでもありません。 あのデータもクラスメートの発言も、相手を理解する道具と位置付けてここに載せました。 相手の国の事情をろくに知らずに、自分の主張だけを言ってしまったら議論にすらなりません。 また、あのデータがどこまで正しいかは僕はわかりません。 英国で知り合った中国人は、僕に色んな「中国の中にある日本」(ドラマ、漫画、アニメ、ゲーム)を教えてくれます。 誰でも僕にフレンドリーに話しかけてくれます。 日本語を知りたがる人も居ます。 「日本人だから」という理由で差別された事もありません。 「日本が嫌い」という時の「日本」って言うのは 「日本人」なのか、「日本政府」なのか、「日本企業」なのか、「日本製品」なのか… すっごく漠然としてるんですよね。 <追記3 反日未だ解けず> そんなことを書こうと考えていた際に、こういう記事が。 「サッカーアジア杯 中国の反日行動、大国意識と表裏」(産経新聞7月27日) 噴き出した異様な“ブーイング” 【北京=野口東秀】中国・重慶市などで開かれているサッカー・アジア杯が極めて偏狭な中国の「愛国主義」に彩られている。日本対オマーン、日本対タイ戦では日本選手に対する激しいブーイングが会場を覆ったほか、二十四日には試合終了後に日本チームのバスが中国人観客に取り囲まれた。この「日本嫌い」の背景には、低下する共産党の求心力を高める手段として江沢民前政権下で顕著になった愛国主義の強調がある。 二十日の日本対オマーン戦での中国人の観客の声援は大部分がオマーンに寄せられ、一部の観客は反日スローガンまで叫んだ。二十四日の日本対タイ戦でも日本選手への露骨なブーイングが終始目立った。 タイ戦では観客席の日本人に物が投げつけられたほか、日本選手のバスが中国人観客らに取り囲まれる騒ぎもあったという。 田中誠選手は「国歌吹奏のときから何か違ったような雰囲気があった。反日感情が強いのかなとは思った」と語った。 田嶋幸三・日本サッカー協会技術委員長は「試合中のブーイングは仕方がない」としながらも「日本から足を運んだファンが物を投げられたりして楽しくサッカーを見られないのは問題」と遺憾の意を示した。 中国中央テレビは日本の二試合とも中継せず録画を深夜に放映したが、これについて同局関係者は「単に番組の編成の都合であり、一カ月前に録画放映は決まっていた。二十八日の日本対イラン戦は中継する」と語った。 しかし、重慶市は第二次世界大戦で旧日本軍が爆撃した都市でもあり、ネット上では試合開催の二カ月前から「(試合に合わせて)日本国旗を焼こう」など反日行動を呼びかける書き込みが寄せられていたとされ、「反日」の広がりで国際的イメージが悪くなることを警戒した当局側が中継を規制した可能性は否定できない。「南方体育報」もこうした点を示唆している。 現在もネットの掲示板には「重慶人民は日本選手団に抵抗せよ、爆撃を忘れるな」「日本選手団に歴史の写真を見せて勉強させろ」などの書き込みが存在する。 歴史問題だけでなく尖閣諸島や沖ノ鳥島、ガス田開発など最近の東シナ海・西太平洋における日中間の紛争についても、日本選手団に対して抗議行動を起こそうとする動きもみられたという。 「反日」は中国共産党が江沢民時代に愛国教育を強化してきたことと表裏一体の関係にある。 中国は市場経済化の加速で社会主義イデオロギーに代わる新しいイデオロギーを必要とし、「愛国主義」を全社会的に強調するようになった。腐敗と経済格差の広がりで失われた党の求心力を回復する狙いもあった。 「反日」を担うのはこうした愛国教育を受けてきたが多く、「大部分の中国の大学生は日本が好きではない。日本という言葉から大学生が示す反応は憎悪である」(中国青年政治学院の教授)との指摘さえみられる。 「中華民族の復興」との言葉が江沢民時代にはみられたが、中国は従来の対日コンプレックスと、経済成長と核を保有する軍事力による大国としての自信の双方が入り交じり、日本への感情を複雑なものにしている面もある。 これに関しては、今後時期を見て、友人の中国人に聞いてみたいと思います。 <今日の出来事 カラオキ Karaoke> 今日は6時~9時までカラオキに行ってきました! 英国「初カラ」です! 大学のELTU(English Language Teaching Unit)が企画した、語学生対象のカラオキなので無料です♪ …さっきから、何でカラオケじゃなくてカラオキと言っているのか。 こっちではそう発音されているからです。 英語を母国語をする人は、けっこう日本語の発音ができないですよね。 もののき姫(Princess of Mononoke)だし。 これは英語の抱える問題だと僕は思っています。 何を大げさな、と思うかも知れませんが、英語は「英語の発音/言い方を最優先」です。 例えば国名を見てみましょう。 日本はJapan。ニッポンなのに。 キプロスはCyprus(サイプロス)。ギリシャ語ではキプロスです。 トルコはTurkey(タルキー)。トルコ語ではトルコです。 いちいち、英語風の読み方にしちゃってるんですよ。 なんとなく、日本は「相手の文化を尊重、英語(米か英)の国は無視」なんてイメージを持ってしまいます。 ・・・とか、なんだかんだ言ってみましたが、覚えるのが大変なので文句が言いたいだけですわ。 オランダ(Holland)とかドイツ(Germany)とか、たまに出てこないんだよねぇ。 で、カラオケですが。 だだっぴろい部屋で、カタログを見て、番号を書いて、機械の前にいる兄ちゃんに渡すというもの。 大勢の前で歌わなくてはいけない上に、1つしか機械が無いので、フロア―にいる代表みたいになる訳です。 ノリ自体はよかったんですが、歌い辛い状況です。 しかし、「何事も経験!!」が信条の僕ですから(いっぱい信条が出てきたなぁ・・・)、やるっきゃありません。 ちょいとビールを飲んで自分を酔わせておいてから、カタログにあった日本で歌ったことのある唯一の曲 Queen 「Don’t stop me now」を熱唱しました。 結果は・・・ なんと大盛り上がりです!!ほんまにびっくりする位。 半年以上聞いていなかったからキーは忘れるし、英語は追いつかないし・・・と結構散々だと思ったんですが、 そこは演劇部で鍛えた喉からの歌唱力でカバーしました(みたいです)。歌い終わったら、皆こっちを見て拍手。 照れました(慣れていませんので)。 とにかく予想以上に盛り上がったので、非常に気分がよかったでございますわ。 ちなみに。 最後は皆、踊り狂ってました(僕は冷静でしたが)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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