|
カテゴリ:カテゴリ未分類
「やりたいことが見つからない」
先日の日記にも書いた『TRANS』の中に出てきた男の姿が、今の僕にだぶった。 “何者でもない自分”から“何か”になりたがっている。 自分が“何か”で無いと不安で、今の自分以外の“何か”になりたがっている。 (劇では、この男は離人症になり、天皇という別人格を作り上げていた。 「時々、自分が“自分を演じている自分”みたいに感じるんです」 そう言っていた男の精神は、やがて別人格に乗っ取られていく。) でも、自分が“なりたい何か”が解っていないと、その“なりたい何か”にはなれない。 その“なりたい何か”とは、「理想の自分」ってヤツだ。 だから、それがわからないと、不安になる。 目的や目標の無いまま歩むことは、怖い。 「そういえば、僕がなりたかった理想の自分って何だったかな?」 帰り道、梅田のビルの下で考えた。 僕はずっと、「ヘンリーは、自分の未来が見えていて偉いね」って声に囲まれていた。 忘れていたのか、見失っていたのか、いつの間にか、僕は自分の未来が見えなくなっていた。 いや、そもそも何も見えていなかっただけかもしれない。 強いふりをして、本当は誰よりも弱かったのかもしれない。 一生懸命に頑張るふりをして、大事なところから逃げていたのかもしれない。 周りの賞賛の声に安心して、あるいは忠告に耳を塞いで、自分を甘やかしてきたのかもしれない。 星の無い空の下で、そんなことを考えていた。 そうやって考えていくうち、 「実は、僕ってこんなに弱かったんだ。」 そんな当たり前のことに気付いた。 この劇の中でも、弱さを見せることで、生きるべきだって言う場面があった。 泣き言を、幼馴染にぶつけて。幼馴染は、それを受け止めて。 人前で、僕はいつも強い。 どんな苦境にも負けない自分で居ようとしている。 笑顔で居る。 それは、演技でもないし、自然にそうしているだけだ。 だが、「強い自分」で居続けるのって、楽ではない。 何処かでうまく力を抜かないと、心が道を見失うときだってある。 弱さを見せられる場所が、見せる勇気が、必要なんだなって、思った。 弱い自分に気付くこと。それを認めること。そして、嘆くこと。 それは時に、強さを誇示し、自分を守ろうとするよりも、大事なことかもしれない。 いや、弱さを認めることこそ、強さなんじゃないか。 僕は、弱い。 やりたいことが、本当は見つかっていない。 もっとガムシャラにやれたことを、してこなかった。 それを認めてやる。 それから、克服してやるんだ。 今までの生き方に後悔は無い。 後悔があるとすれば、今、何もしなかった時に起こる未来にある。 <図:黄昏(たそがれ)るへんりー> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 11, 2005 12:47:32 AM
コメント(0) | コメントを書く |